年度別受賞者一覧

第51回 社会貢献者表彰 受賞者一覧
(敬称略)
人命救助の功績
  • 海難・水難、交通事故、遭難等に際し、身命の危険を冒して救助・救援に尽くされた功績
  • 犯罪等の発生に際し、身命の危険を冒してその解決に協力された功績
  • 災害・事故・犯罪の発生を未然に防いだ功績
鈴木 隆彦(東京都)
鈴木 隆彦
2017年5月17日0時06分頃、京王線桜上水駅の踏切内で、車イスから横転し動けなくなった高齢男性とその車イスを押していた高齢男性の2人を、たまたま通りかかった地元消防団に所属する鈴木隆彦さんが発見した。その時、遮断機が下り始めたため、鈴木さんは「助けなければ!」との思いで踏切内へ入り電車が迫り来る状況下で、動けなくなった男性を抱えて踏切外へ救出した。
鈴木さんが助けた男性は失禁していたが、自身の衣服が汚れることも意に介さず抱きかかえた。  >>詳細・手記・手記
推薦者/林田 智樹
日原 拓哉(山梨県)
日原 拓哉
2017年11月29日午後8時頃、山梨県甲府市後屋町の後屋団地の1階で火災が発生した。管理人から火災が発生した、と助けを求められた日原さんは、消火器を持って火元である真下の男性宅へ駆け下りた。男性は一人暮らしだったが、足が不自由で車椅子を利用していた。
日原さんは消火器を噴射して煙を払うと、男性を背負って屋外へ救出した。その後、上階の住人が階段を下りてきたが、炎と煙に阻まれて取り残されており、4階踊り場にもまだ数人の姿が見えた。日原さんは、外壁の排水管パイプをよじ登って、上階の住人を避難誘導し、2階踊り場からは、排水パイプにつかまりながら一人ずつ抱えて、下にいる家族と連携して計8名を救出した。消防車が到着したときには住人の救出は完了していた。
火の勢いはかなり激しく、現場が団地であったため、多くの犠牲者が出る可能性があり、一人のけが人も出さずに救出できたことは驚きであり、警察官から見ても勇気が必要な行動であり模範としたいという言葉があり、県警や消防署、警察庁長官、総理大臣からも表彰され、春には紅綬褒章も授与された。  >>詳細・手記
推薦者/山梨県教育委員会
上田 芳賢(熊本県)
上田 芳賢
2017年8月20日午後4時半頃、知人の運転する車で、現場の踏切を通過しようとしたところ、既に遮断機が下りた踏切内の線路際に高齢男性が自転車とともに倒れて動けなくなっているのを発見した。
知人は119番通報し、助手席にいた上田さんはすぐに降車し、線路内の自転車を踏切の外へ運び出し、男性の救助へ向かった。男性は頭を打っているようで、意識朦朧とした状況で、上半身が線路内にある状態で横たわっていた。体が持ち上がらず、上田さんは老人の足を持って線路の外へ引きずりだしたところで、電車は上田さんたちに気づくことなく、減速することもなく、間一髪通り過ぎていったが、二人とも電車との接触もなく無事に救助は成功した。
ちょうど付近を通りかかった30代の若者の加勢もあり、電車通過後、改めて安全な場所へ老人を移動させ、救急車の到着を待った。電車と接触してしまいかねなかった切迫した状況の中で、躊躇することなく救助にあたった上田さんの功績は大きく、熊本警察本部長からの感謝状も贈られている。  >>詳細・手記
推薦者/公益財団法人警察協会
石井 幹人(新潟県)
石井 幹人
2018年3月30日、午後9時15分頃、石井氏は仕事から自宅に帰ったところだった。しばらくするときな臭く、焦げたような臭いがするので、外に出てみると自宅から40.50メートルの距離にある町内の女性宅の家の2階部分から火が出ていた。
携帯電話で119番通報をしながら駆け付けると、1階部分は煙は出ていたが、火は見えなかった。玄関の戸を叩き、まだ中に人がいるか確認してみると、うめき声のようなものが聞こえたが、それは直ぐに聞こえなくなってしまった。そこでやむを得ず、玄関の鍵の部分のガラスを割って、中に入った。
すると玄関の隣の部屋のソファに放心状態の女性が横たわっていて、しゃべることも出来なかった。立たせることも背中に背負うことも駄目で、その間に火は1階部分のカーテンや障子に移り、回りが真っ赤になった。
無我夢中で普段では考えられないような力が出て、女性を抱え上げて外に出した。
救出後3〜4分で消防車、救急車、パトカーが来た。すぐに消防車が放水を始めると同時くらいに、全体に火の回った家は崩れ落ちた。
救助された女性は救急車で病院に収容され、無事であった。石井氏は玄関戸の割れたガラスで足を切り、3週間程通院したが無事であった。  >>詳細・手記
鈴木 雄介(宮城県)
鈴木 雄介
2017年9月22日21時30分頃、22名が乗車した高速バスが、宮城県のJR仙台駅前から古川方面へ向かい、東北自動車道の下り線を走行中、三本木インター手前に差しかかった所で、道路の中央分離帯にバスの右側面から接触しながら走行を続けた。
バス内の通路を挟み最前列の左側のシートに公務員の男性A氏(推薦辞退)、同右側に鈴木氏が着席していたところ、運転手が運転席で後ろにもたれるようにぐったりするのを見たA氏は、運転席に咄嗟に移り、運転手の膝の上に腰掛けるようにして座りハンドルを支えた。同時に鈴木氏も運転席に駆け寄り、ハンドブレーキを引き、バスを路肩に停車させた。
運転手は病院に搬送されたが死亡。二人の咄嗟の行動により乗客は全員無事で、重大な交通事故になるところを未然に防いだ。  >>詳細・手記
山口 峻(熊本県)
山口 峻
2018年2月18日(日)の午前11時30分頃、通っていた熊本県荒尾市の自動車学校から帰る途中、学校の前の交差点で3台の軽自動車が絡む自動車事故を目撃した。
信号を無視した1台が他の車に接触横転するのを見た山口氏は、自動車学校に戻り、警察と消防署に連絡を依頼するとともに、横転している車のガラスが割れた後ろの窓から車内に入り、シートベルトを着けたまま宙づりになっていた男性を車外に引っ張り出し救出した。
すぐにパトカー、消防車、救急車が到着。救出した男性は収容され無事であった。
なお、同氏は高校1年時に自宅近くに出血して倒れていた女性を救出し、同3年時の昨年12月には、バイクに乗った女性が転倒した事故に遭遇し、この女性を救助している。  >>詳細・手記
竹澤 匠平(福岡県)
竹澤 匠平
2017年5月27日、福岡県鞍手郡鞍手町の浮州池で釣りのポイントを探していると、池の対岸で犬が泳いでいるのが見え、不思議に思っていたところ、その横で溺れているらしき人を発見。大きな池でかなり距離があったが、竹澤さんは柵を乗り越えて対岸まで走った。現場につくと女性が「主人が溺れている、助けて!」という。既に男性は手先を残して沈みかけていたため、彼は着衣のまま池に飛び込み男性を確保した。しかし、池は水深5m以上あって足も着かず、水面から1.5mの急斜面のコンクリート壁を自力で上がることはできず救助隊の到着を待つしかなかった。救助までの約20分強、男性の妻が手すりをつかまりながら差し出した足に、男性をつかまらせ、同時に竹澤さんは立ち泳ぎをしながら、壁からわずかに出ている排水パイプをつかんで男性を押し上げ支えた。何度か潜りながら手を休めるなどして、体制を整えて支え続けたが、力の限界が近づき、もう自分もダメか、と思ったが最後の力を振り絞り、必死で支えて救助を待ち続け、ようやく消防隊の救助が到着した。
男性は無事に救助され、その騒ぎで駆けつけた釣り人が差し出した竿につかまりながら、竹澤さんも自力で岸へ這いあがった。その後救助された男性はしばらく入院していたが、その後回復し復帰している。 >>詳細・手記
池田 光広   池田 結人  池田 恵菜
池田光広さん、結人さん、恵菜さんの親子は、海水浴を楽しんだ後、釣りをして帰ろうと隣の大手原漁港に場所を移し準備していたところ、ドーンと音がしたので振り返ると、45m先に白い乗用車が海面に浮いていた。
直ぐに光広さん、恵菜さんが駆け付けると車の中で茫然とする老夫婦の姿があり、車は見る見るうちに海底に沈んでいく。結人さんが緊急の際の連絡役として監視、二人が窓ガラスを割る物を探していると、運転していた男性が脱出し海面まで上がってきたが溺れた為、光広さんは着衣のまま海に飛び込み、79歳男性を岸まで運び上げた。助手席の女性は沈んだままだった為、車に潜ると、運転席の半分空いた窓から、75歳の妻が上半身出し挟まった状態で意識がなかったことから、海中で引っ張り出し岸まで運び無事救助した。老夫婦の車は、バックで方向転換をしようとしたところ、地続きと勘違いし海に転落した模様。池田さん家族がそこにいなければ、間違いなく2人とも助からなかったと思われ、3名の連携で2つの命が救われた。  >>詳細・手記
推薦者/公益財団法人警察協会
社会貢献の功績
  • 精神的・肉体的に著しい苦労、危険、劣悪な状況に耐え、他に尽くされた功績
  • 困難な状況の中で黙々と努力し、社会と人間の安寧・幸福のために尽くされた功績
  • 先駆性、独自性、模範性などを備えた活動により、社会に尽くされた功績
  • 海の安全や環境保全、山や川などの自然環境や絶滅危惧種などの希少動物の保護に尽くされた功績
  • [補足] 社会貢献の功績は、日本国内での日本人並びに外国籍の方、海外での日本人による活動など、広い活動を対象とします。
早大防災教育支援会(WASEND)
早稲田大学社会環境工学科の教授だった濱田正則氏は、2004年に発生したインドネシア・スマトラ島沖地震の震災後現地を視察に訪れた際、ひとりの少女から「日本は昔から地震の被害を受けていたのに、その経験をなぜ私たちに伝えてくれなかったのか」と質問を投げかけられたことで、学生による防災教育の必要性を強く感じ、「早大防災教育支援会」(WASEND)を設立した。
濱田氏の意志は学生たちに受け継がれ、現在約60人のメンバーが日本国内のみならず、インドネシア、フィリピンの子どもたちを対象に防災に関する教育活動を行っている。
現地の大学生や専門家との綿密な現地調査の上、その地域に適した授業を、実験装置を用いて体験的な内容にし、子どもたちの防災への意識向上を目指して行っている。
学生が作る防災シリーズ絵本「よしはまおきらい物語」(英訳・インドネシア語訳もある)を編集。また、この夏にはシリーズ第2弾「ぼくはひとりじゃない」を編集。授業を受けた子どもたちに手渡している。  >>詳細・手記
推薦者/尾島 俊雄
特定非営利活動法人チェンジングライフ
理事長の野田氏は、自身が少年時代に非行を繰り返し、少年院に収監される経験を持つ。院内でキリスト教に目覚め、退院後に聖書学院で学ぶと、東大阪市内にアドラムキリスト教会を設立し、更生を願いながらも、住居や信頼できる大人を喪失している若者に寄り添い続け18年、これまでに100名を超える青少年らの自立更生に尽力してきた。チェンジングライフとは、社会復帰のための、生活支援、自立後のアフターケアを行うこと。
政府をはじめ、自治体が進める再犯防止への取組みにも積極的に参加し、兵庫県の少年院では教誨師(きょうかいし)として、少年らに寄り添い、また自身の体験や彼らの心のうち、再犯防止について、教育委員会の研修や弁護士会等での講演も週一度のペースで行っている。  >>詳細・手記
推薦者/特定非営利活動法人再非行防止サポートセンター愛知
認定NPO法人高知こどもの図書館
日本で初めてNPO法人が設立し運営する図書館として1999年に開館した認定NPO法人高知こどもの図書館は、こどもたちと本が出会える場として、児童文学・研究書・絵本・美術書・小説・ノンフィクション等3万6千冊の蔵書を保有する。来館者は年間約1万5千人にのぼり、毎月のおはなし会や、地元の音楽家によるコンサート、折り紙教室、赤ちゃんの本紹介の催しなど、本の貸し出し以外にも様々なイベントを開催し、子どもたちが安心して人と出会い、本と出合える場所を提供するとともに、子どもから大人まで誰でも利用できる公共の施設として、地域の人々に親しまれている。
自治体の協力も得ているが、指定管理などではなく、運営費は全て自分たちで賄っている。ボランティアとして係る協力者に恵まれ、間もなく設立20年を迎える施設は、支える人々により、子どもの想像力と創造力が育まれる場所として、地元の方々から期待されるとともに、全国からも注目を集めている。  >>詳細・手記
推薦者/古谷 滋子
牧野 博子(大阪府)
牧野 博子
それまで里親となる人が全くいなかった大阪府門真市で自身が1996年に里親第一号となり、1歳の男児を迎え子育てをしながらも、大阪府里親会の副会長や、里親・里子、関係者によるマラソン大会“はぐくみRunフェスタ”実行委員会委員長として活躍。今年11月23日には第二回目が日本財団のサポートで開催された。
ご自身が里親として得た様々な経験を通じて、里親制度の発展、児童福祉の増進、里親の資質向上に活かしたいと活動を続けている。
現在は、里親で構成される里親会のメンバーだけでは、到底他の親御さんのケアまで十分に出来ない現状を危惧し、単に里親を増やすだけでなく、専門的に里親をサポートする機関の必要性を訴え、支援機関プロジェクト会議を立ち上げ、リーダーとして全国で里親・里子が抱える問題に対応するべく尽力されている。  >>詳細・手記
推薦者/門真市立市民公益活動支援センター
岩田 亮子(カンボジア)
岩田 亮子
客室乗務員として勤務しながら国際貢献がしたいとキャリアを積んでいた。2009年にカンボジアに移住し、人身売買の撲滅活動を支援していた縁でバッタンバン州の児童養護施設「ホープ・オブ・チルドレン」でボランティア勤務することとなった。当時施設の状況は酷く、岩田さんは衛生状態を改善しようと生活用水の水質浄化から着手。食料は差し入れ頼みだったため、稲作を始めた。子どもたちが自分のご飯を作る、家を建てる、修理する、お米を作るといったことができ最低限の生きるすべを養っていけるようにしている。
2015年に無農薬の野菜で作った料理を出すCAFE HOCをオープン。孤児院で育った子どもたちが野菜を育て、店で調理、サービスはもちろん運営もしている。このカフェから子どもたちが自立して巣立っていけることを願っている。  >>詳細・手記
むつみ日本語学校(カンボジア)
むつみ日本語学校
岡山県の中学校に勤務していた檜尾睦氏は日本語教師の資格を取得し,所属していたNPO法人から派遣され,2000年にカンボジア・シェムリアップ州のチェイ小学校で日本語教室を開講し,およそ1,000人(2015年1月末まで)の子どもたちに日本語や日本の文化などを教えた。派遣を終えて2015年に,自らNPO法人日本・カンボジア教育支援協会を立ち上げて,シェムリアップ州の「公立大正小・中学校」内に新たに「むつみ日本語学校」を開校した。現在小学校3年生から高校3年生までを対象に,カンボジア人教師1名と共に無償で日本語を教えている。
授業は平日の午前と午後(月曜から金曜まで)に二部制で実施し,それぞれ約30名の子どもたちが熱心に学んでいる。授業では日常会話の練習に力を入れており,その他,かるたやこま回し等の日本の遊びや絵本の読み聴かせ,日本の歌などを取り入れている。年間を通して現地への参観希望者や岡山市内の小・中・高等学校とも交流し,特に中・高等学校の生徒約70名が,毎年カンボジアを訪問し現地交流を深めている。2015年.16年度は中学生3名が来日し,岡山市内で3週間のショートステイを体験。来日した3名の中学生は,それぞれ日本語だけでなく,日本の学校生活やホームステイによる家庭生活を経験し,帰国後は具体的な目標をもって「むつみ日本語学校」のリーダーとして活躍している。2016年度からは,毎年日本の高等学校への長期留学も実現している。子どもたちが1年間の長期留学を終えて現地の高校を卒業した後の自立のための支援,日本語の習得を生かした就労に向けた支援も計画中である。  >>詳細・手記
推薦者/棚橋 知子
認定NPO法人こどもの里
日雇い労働者の街、釜ヶ崎のこどもたちに、安心・自由・健全な遊び場を提供しようと、1997年にスタートさせたミニ児童館が起源。訪れるこどもからは、背景にある困難な家庭環境が見えてきたことから、様々なサポート体制を整えてきた。こどもの里は、遊びを中心に生活習慣やいのちの大切さを学ぶ場であり、またこどもの家族の緊急避難場所や、生活相談の場でもあり、里親・ファミリーホーム、自立援助ホームなど社会的養護の場でもある。
毎週末にはボランティアの助けを得て、様々なイベントが開催されている。2016年には「さとにきたらええやん」で映画化された。また、日雇い労働者の街・釜ヶ崎が、日本の高度成長や金融危機、行政に翻弄されてきた歴史を、こどもたちが学び、路上生活を続ける人に、毛布・おにぎり・お味噌汁等を配りながら声掛けをするこども夜回りは、毎年1月〜3月まで毎週のように開催されている。こどもの里以外にも、全国からこどもたちが集まり、学習会に続きグループに分かれて夜回りを行うが、これまで35年にわたり開催されている。この学習会を通じて、命の尊さと差別や偏見について学び、路上生活を余儀なくされている人々に心を寄せる機会となっている。
こどもの里には二つの大きな信念がある。一つは、こどもの最善の利益を考えること。もう一つは、こどもの自己肯定感を守り育むこと。この二つの信念のもと、活動をしている。
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若松地区町会連絡協議会「若松地域給食ボランティア」
平成元年に北海道岩見沢市社会福祉協議会より委託を受け、給食センターからお弁当を取り寄せて独居老人宅に宅配したのが活動の始まり。一年後には、自分達の手作り弁当を届けはじめ、現在では地域内の独居老人宅135件の約3分の1にあたる45世帯余りに届けている。町会の助成や、ボランティア仲間からの食材の差し入れなども利用し、300円という安価で30年間値上げすることなく続けている。会員は民生委員、保健推進員、ボランティアを含む14名。毎回次の月の献立を考え、材料と買い出しの量の割り出し作業を行い、買い出し、調理、車や徒歩での配達までを会員たちで行う。また、ひな祭りやクリスマスなどのイベントがある月にはそうした要素も取り入れて、お弁当の包みにも一言言葉を添えるなど、ただお弁当を届けるだけでなく、気持ちや愛情をもって独居老人に寄り添い、配達の際に安否確認や様子をうかがうなどの役割も果たしている。一人では調理しない老人も多く、皆このお弁当を毎月心待ちにしている。また、第2、第4水曜には、地域の介護老人を若松会館に車で送迎し、昼食を用意し、歌やゲームを楽しんでもらい、在宅介護する家族の負担を軽くするための活動も行っており、活動が認められて、2017年には北海道社会貢献賞も受賞している。  >>詳細・手記
推薦者/社会福祉法人 岩見沢市社会福祉協議会
大谷 順子(福岡県)
大谷 順子
大学卒業後、放送分野で仕事をされていた大谷さんは、福岡子ども劇場の設立に参加したことがきっかけで、子どもの文化的な環境を整えるための活動を行う中、子どもとのふれあいを通じて、彼らの持つ悩みに心を寄せ、子どもの社会的環境がライフワークとなり、2001年には日本で2カ所目となる、子どもの電話相談、「チャイルドラインもしもしキモチ」を立ち上げる。
また、子どもを取り巻く問題に取り組む団体が協力することの必要性を訴え、ネットワークと交流を深める拠点として、「子どもNPOセンター福岡」を立ち上げる。子どもに関する様々な人脈を持つ大谷さんに、行政から里親を普及させる為の協力要請があり、フォーラムなどを開いて広く里親の普及活動を行うと共に、世界の児童養護施設の見学など、情報収集を行い、日本では初めての施設となる、「SOS子どもの村」を福岡に設立する為に尽力するなど、子ども分野の市民活動家として、これまでに、子どもの社会的環境整備に関連する多くのNPO法人を立ち上げてこられた。  >>詳細・手記
推薦者/坂本 雅子
山口 和宏(埼玉県)
山口 和宏
18歳の時、重度の障がいを負い、24時間の介助を必要としているが、障がいを持つ人が支援を受けながらも社会参画して活躍し、楽しく人生を送れる社会づくりに挑戦している。2013年に自ら株式会社LIFEクリエイトを設立し、「障がいを味方に社会イノベーションに挑戦しよう!」という精神のもと、24時間在宅介助派遣事業を行っている。
当事者である山口さんだからこその目線で、利用者の意思を尊重したサービスを提供し、社会的自立を目指すステップアップのノウハウの提供が出来る。また、代表理事を2つの法人で務めている。一般社団法人日本障害者就労支援協会では、障がい者福祉サービスを行っている事業所が就労継続支援事業を始める際や、一般企業が障がいを持つ人を雇用する際に起こる困りごと(事務的な書類の手続きや勤怠管理、経営状況の把握、就労を希望する障がいを持つ人の適正判断やマッチング等)を、独自に開発したクラウドシステムを利用してもらうことで、サポートする事業を行っている。このシステムは60社以上の企業から利用されている。NPO法人国際障がい者活躍社会創造協会では、障がい者の社会参画が理解を促進するため、地域や人が楽しく繋がる機会(車いすで行うハイキング、企業・団体と協力したイベント開催等)を定期的に創出している。  >>詳細・手記
更生保護法人 栃木明徳会
矯正施設出所者や保護観察中の女性で、頼るべき人がおらず、直ぐに自立更生することが困難な人たちに対し、一定期間、宿泊場所や食事を提供し、就労支援や社会復帰に必要な生活指導を行うなどしているが、全国でもこのような女性の更生保護施設は数少ない。創立110年と歴史も長く、途中建物をバリアフリー化し、高齢者や障害者の受け入れの特別処遇を行う施設として指定も受けている。薬物の指定施設でもあるため、覚せい剤の対象者の受け入れも多く、薬物治療を受けているものも多く、心のケアも含め、認知行動療法など薬物依存からの回復支援を実施している。
活動の中で、農作物を育て、収穫までを体験することで、心の癒しや達成感、自尊感情の回復に役立てている。また、地域協力者による野菜づくり委員会を立ち上げ、収穫した作物の販路を開拓し、自立支援金を支給するなどの自立支援にもつなげている。女性は男性に依存して生きてきて、就労経験が少ないケースも多いため、継続して就労するということが難しい。こうした入居者への声掛けや励ましは常に気をつけている。
フォローアップ事業として、自立後の元入居者を訪ねて様子をみたり、電話相談に応じたり、希望があれば生活相談等も続けている。 >>詳細・手記
推薦者/更生保護法人 ウィズ広島/全国更生保護法人連盟/更生保護法人 両全会
更生保護法人 呉清明園
1950年に保護観察少年を受け入れる更生施設として発足。その後、成人も受け入れることとなり、刑務所や少年院に収容された人の内、引受人や帰住地の無い人を受け入れ、自立更生させる更生保護施設となった。2002年に寄付や助成金などで改築が行われ、全国に先駆けて全室個室の施設となり、現在20名の定員は全員男性で刑期を終え社会復帰を目指す人、福祉を受ける人など、新たな人生を歩む準備をこの施設で整える。
更生保護施設の存続には地元の理解と協力が欠かせない事から、この施設では自治会の清掃作業には寮生や職員等が参加、また災害時の一時避難所や自治会館として施設内のスペースを利用してもらう等、配慮を欠かさない。
職員も、寮生の社会復帰と更生の為、就労活動や住居探し等、いつでも相談できるような体制と雰囲気づくりに心がけ、物心両面で寮生を支えている。収容率は中国地方でトップクラスを誇る。  >>詳細・手記
推薦者/中本 忠子
京都府更生保護女性連盟
全国組織の更生保護女性連盟の中で、50年余の歴史を持つ京都府は2016年から若い女性に向けた支援活動「若草プロジェクト in KYOTO」を立ち上げた。
“人は立ち直ることができる”を信じて、それを支援するため、貧困、虐待、ネグレクトDV、いじめ、性的搾取、薬物依存、育児ノイローゼなどの厳しい家庭環境や社会環境に苦しむ若い女性たちにフォーカスし、ただ経済的な支援をするだけでなく、積極的に声掛けを行い、彼女たちのSOSに気づいてあげられるよう、社会課題に具体的に取り組んでいこうと活動を行っている。会員全体の専門知識向上のための研修の実施、シンポジウムの開催や大学生との共同プロジェクトで作成しているフリーペーパーやチラシによる活動紹介、「若草カフェ」での勉強会、女子専門の更生保護施設西本願寺白光荘での「なりたい自分になる講座」の運営のほか、この10月から若者と子どもを支援するための居場所「今出川リビング」をオープンした。3年目を迎えた同プロジェクトを今後更に拡充させ、女性たちの葛藤を理解し信頼される大人になるための取り組みを行い、他の地域へも波及させていきたいと考えている。  >>詳細・手記
推薦者/日本更生保護女性連盟 会長 千葉景子
関西生命線(台湾語・北京語によるいのちの電話)
代表の伊藤みどり(梁碧玉)さんは、自国台湾の高雄生命線でソーシャルワーカーをしていたが、1977年結婚を機に日本に住むこととなり、慣れない異国で文化や習慣の違いに戸惑いながら、お子さん2人を育てていた。ご自身の外国生活とソーシャルワーカーの経験を役立てたいと考えていたところ、1988年、台湾人女性4名が立て続けに自殺するニュースを機に、1990年、高雄生命線のサポートもあり、日本に住む中国語圏出身の人たちの悩みや相談に応じられるいのちの電話を開設。これまで28年に亘り延べ1万人もの相談に対応してきた。
電話相談以外にも、訪問やカウンセリングも行い、日本の学校の習慣や対応等についてもアドバイスを行っている。また、日本独特のお弁当文化に馴染みのないお母さんにむけて、子どものお弁当の作り方の本を出版。中国語圏での大きなイベントである旧正月や十五夜を祝い、毎年2~300名の参加者(中国語圏の人々、日本人、ボランティア)が集まるお祭りを開催し、自国のお祭りに帰国できない外国人らが孤立しないように交流の機会も提供している。  >>詳細・手記
推薦者/渡口 行雄
NPO法人在日外国人教育生活相談センター・信愛塾
1978年、在日コリアンの子どもたちの子ども会として横浜市の中華街の一角で活動を開始し、2004年にNPO法人在日外国人教育生活相談センター・信愛塾を設立。
学習支援を利用する子どもは年間2,200人を超える。国籍は日本でも母語が日本語でない子どもも多く、母語による学習支援や日本語指導を行い、終わったあとはスポーツや音楽、ゲームなどを楽しみ、日頃の緊張から開放され安心して過ごせる「居場所」を作っている。
また、子どもの保護者を対象とした伴走型の教育・生活・人権に関わる相談事業を無償・多言語で行う。年間約800件の相談を受け、内容によっては10年以上関わり続けているケースもある。
中国語、タガログ語、英語などいろいろな言語が飛び交い、子どもも大人もありのままの自分でいられる「居場所」として在日外国人と日本人が交流し、支え合い、共に生きる社会の実現に向けた活動を続けて40周年を迎える。  >>詳細・手記
推薦者/町田 秀宣
特定非営利活動法人おかやま入居支援センター
2009年に設立されたNPO法人おかやま入居支援センターは、精神疾患の患者が自立し社会で暮らす為の基本となる住居の確保が難しいことから、司法・医療・介護福祉・不動産仲介事業者・金銭管理者等多くの関係者による支援ネットワークによるサポートを行って
いる。設立後は、高齢者・障がい者・刑事施設退去者・被虐待者も対象として、必要に応じて保証人となり、アパート入居の支援を行っている。
公営住宅の保証人問題について、同団体が岡山県にはたらきかけ、知事が認めた法人が公営受託の保証人になれるという条例改正や、住宅セーフティーネット法の改正に繋げるなどした。
また、2017年には、一般社団法人居住支援全国ネットワークが立ち上がり、同団体の理事長が代表理事に就任するなど、全国の弱者への居住支援がこの団体を軸に広がっている。 >>詳細・手記
推薦者/特定非営利活動法人 ワンファミリー仙台
NABA(日本アノレキシア・ブリミア協会)
摂食障害からの回復と成長を願う人たちの自助グループとして1987年に設立された。同じ悩みを抱える仲間との出会いと分かち合いを通して互いに支え合い、助け合いながら回復、成長していく事を目的に活動している。摂食障害の症状は、「拒食」「過食」に代表される自分でコントロールできない食べ方や体型への強い捉われだが、その背景には様々な心理的葛藤が隠されている。そのため、NABAでは表面的な症状の回復よりも、症状を含めた今の自分を責めずに認め、「ありのままの自分」を受け容れていくことを大切にしている。
NABAでは、お互いの話を聴き、体験や感情を分かち合うミーティングを毎週4回開催。無料電話相談や会報発行のほか、ミーティング場をメンバーが日中過ごせる居場所として開放している。家族のための自助グループ「やどかり」にも場所を提供し協力して活動している。また、専門家を招いてのセミナーの開催や全国出張出前ミーティングの開催のほか、摂食障害に限らず「ピアサポート」に取り組む自助グループと共に様々な生きづらさを抱えた人々が分かち合う場として「ピアサポ祭り」を毎年一回開催している。  >>詳細・手記
推薦者/SIAb.(Survivors of Incestuous Abuse)
森口 エミリオ 秀幸
南米ブラジルで言葉の壁から病院に通うことができない日系移住者を支え続ける、日系人の医師。森口氏の祖父が(故・細江静男氏)が1930年代に始め、その後、森口氏の父(森口幸雄氏91歳)が引き継ぎ、2007年からは3代目として森口氏が活動の中核を担っている。
毎年約3,000㎞以上の距離を移動しながら約1ヶ月かけて日系移住者を訪ね、無償で診察を行っている。診察のメインは日系Ⅰ世として暮らす60〜80代の人たち。長年、山奥の日系入植地で過してきたためポルトガル語が話せず、一般の病院での診察が受けられない状況にある人々である。
運用資金の多くを自己負担でまかなう厳しい状況が続くが、森口氏の活動は現地の日系移住者の人々の命綱となっている。  >>詳細・手記
サンパウロ社会福祉法人救済会「憩の園」
日米戦争中、強制立ち退きされた日本人移民を救済するべく「日本人救済会」が発足され、ドナ・マルガリーダ渡辺氏を中心として活動が行われた。戦後1953年に正式な慈善団体として組織された。その支援は、日本人のみならず、人種や国籍を超えて、貧困者、疾病者、寄辺なき老人、孤児など、困っている人全てに支援の手を広げていった。こうした活動を認められた救済会は、その後サンフランシスコ修道院から10アルケールの土地を寄贈され、「憩の園」の活動が始められた。
その財源は会員からの会費や在園者やその家族や団体からの寄付金等により賄われてきたが、140名近くまでいた在園者もその後高齢化や世代交代とともに減少し、それを支える会員も減っていったため、運営は危機的な状況となっていった。土地を切り売りするなどして何とか運営してきたが、今後の活動の継続には、会員の増加と寄付等の支援の増加が不可欠であり、他団体との統合も視野に検討を進めている。  >>詳細・手記
推薦者/認定NPO法人 NGOブラジル人労働者支援センター
認定NPO法人 NGOブラジル人労働者支援センター
労働者として主にブラジルや中南米から来日した日系人の抱える職場や生活上での問題を、早稲田大学在学中「早稲田大学海外移住研究会」に所属し、中南米へ移住した経験のあるOBが中心となって解決する支援活動を2003年から行っている。
「親身、24時間、無償、迅速、徹底解決」をモットーに約20人のスタッフが対応した相談事は「解決事例100」(日本語/ポルトガル語)にまとめ、ウェブサイトで公開したところ、在日ブラジル人や支援活動を行っている他団体などから高く評価されている。これまでに延べ約2,300件の相談に対応してきた。
また、ブラジルの日系社会支援として、毎年2月の1か月間サンパウロの日系学校アルモニア学園へ日本の大学生を研修生として派遣して、日本語や日本文化普及活動を行うほか、日本移民120周年記念事業として「日伯学園」の建設を2028年開校を目指し計画を進めている。  >>詳細・手記
推薦者/認定NPO法人 NGOブラジル人労働者支援センター
横井 敦子(愛知県)
横井 敦子
1950年代に大流行したポリオ(脊髄性小児麻痺)は、60年代には患者数が5千人を超えた。その後生ワクチン接種によって患者数は激減したものの、その毒性がゼロではなかったため、ワクチンによる感染者も増え続けた。2012年にようやく不活化ワクチンに切り替わり、新たな感染はなくなったが、後遺症(ポストポリオ症候群:PPS)に悩む患者も多い。
横井敦子氏は、自身も5歳でポリオを発症し、後遺症で両足に麻痺が残る中、持ち前の頑張りで医師となり、1998年に「ポリオ友の会東海」を発足し、代表を務め、医師としての経験を生かして、患者に寄り添い、専心してきた。一昨年、顧問に退いた後も患者からの電話相談は絶えず、昼夜を問わず献身的に応じている。同会は現在では東海や北陸地方を中心に260名あまりを擁する患者会となり、患者を精神的、肉体的両面から支えている。ポリオは医学界でさえ認知度が低かったため、2007年から愛知県の藤田保健衛生大学病院のリハビリ部門と協力して年間100名近いポリオ患者の検診会を行い、その後継続的に経過観察を行うことで、病気への理解を得る貴重な機会の場を提供してきた。これは海外の学会でも発表されるなど、広く今後の指標となっている。横井氏は今後もポリオ撲滅に向けて生涯の活動として情熱を注ぐ。  >>詳細・手記
推薦者/ポリオ友の会東海 代表 向山昌邦
認定NPO法人ゆいネット北海道
2011年に北海道の女性医師の会が主体となり、「ゆいネット北海道」へと発展し、性暴力被害者支援センター北海道SACRACHを運営。性暴力被害者を専門家と支援するとともに、被害にあわない、加害者にならない為の啓蒙活動も高校や大学で行っている。
性暴力の被害者は若い女性だけではなく、赤ちゃんから高齢者、そして性別を問わない。被害者には早期のケアが重要で、周囲の人には見守る事・信じる事・責めない事など2次被害を防ぐケアも必要となってくる。また性暴力には直接的な脅迫だけでなく、援助交際や売春させるなどこれらも性暴力であることを周知している。
また、性暴力の被害にあった人には、ワンストップで医師・警察・弁護士との連携がとれ、被害者への万全の対応がとれる病院の開設に向けて活動を行っている。  >>詳細・手記
推薦者/認定NPO法人 ゆいネット北海道
特定非営利活動法人人身取引被害者サポートセンター ライトハウス
2004年から東京を拠点に、日本国内での性的搾取を目的とした人身取引被害者への直接支援を行っている。人身取引とは「搾取を目的として暴力や騙し等の手段を使って人権を侵害する行為」でアダルトビデオ出演強要、性風俗産業での従事の強要、児童買春・児童ポルノなどが該当する。これらの被害を受けている人たちは、職場の人や学校の先生に言えない、
親に迷惑を掛けたくない、自分が悪かったから、などの理由で誰にも相談できずにひとりで不安と恐怖に苦しんでいることが殆ど。ライトハウスでは電話やメールLINE、携帯アプリに相談窓口を設け、相談を受けた後、担当の支援員が相談者と直接会って話を聞き、相談者の意志を尊重しながら必要な支援をチーム体制で行う。
人身取引が身近に起きていることを知ってもらうため、学校関係者や行政関係者、一般企業、警察、議員などへ講演や研修を行っている。被害の予防、拡大防止のために啓発パンフレットや漫画、動画作成、イベント、セミナーを開催している。また、政府や関係機関と連携し「人身取引禁止法」の制定を目指して政策提言を行っている。  >>詳細・手記
推薦者/新宿区更生保護女性会 会長 坂本 悠紀子
認定特定非営利活動法人 被害者支援ネットワーク佐賀VOISS
佐賀県内における暴行、傷害、殺人、性犯罪、DV、交通犯罪などの犯罪被害者やその家族への支援を行っている。1998年に被害者支援の準備会として、学習会や講演会、交流会などを重ね、ホットラインの設置なども行い、そこで得た被害者の切実な声によって2000年4月に正式な任意団体として発足した。
被害者が抱える問題(生活、医療、公判に関することなど)の解決や、心のケア、報道による二次被害の防止など、多岐にわたる支援要請に、電話やメール、面接、直接支援(病院や裁判所への付き添いなど)、自助グループ支援(被害者遺族の交流の場の提供)などを行っており、その相談件数は年間500件以上にものぼっている。また、被害者支援の必要性を訴える普及活動や広報活動も積極的に行い、支援員(活動への協力サポーター)の養成講座も開設している。こうした活動を評価されて、2015年には認定特定非営利活動法人となり社会的信頼を得たことで、更に被害者への支援の拡充に寄与している。 >>詳細・手記
推薦者/佐賀県庁 県民環境部 県民協働課
特定非営利活動法人 わたりグリーンベルトプロジェクト
宮城県の亘理町では、2011年の震災で防潮林の大部分と4つの集落が流出・崩壊した。町では震災の年から復興に向けて動き出し、町民延べ200名による都市計画の「マスタープラン」が策定された。防潮林の流出は、海からの強風や砂埃の害など、町に今も多くの影響をもたらしている。震災後からボランティアと共にわずかに残った防潮林から種を採取し、苗木づくりを行い、現在地元小学校4校が総合学習としても防潮林の再生活動を取り入れており、4年生で種植え、5年生で鉢替え、6年生で植樹するなど、2020年までに合計14.1haに亘る植樹活動に取り組んでいる。
防潮林の再生は植えて終わりではなく、枯れた木の補植や外来種駆除などの維持管理を行っていく必要があり、わたりグリーンベルトプロジェクトは長期的な活動を目指してい
る。また、震災前の防潮林は町から委託を受けて住民が維持管理をしていたが、震災後住民が減少したことで担い手が不足しており、流出せずに生き残った木々の管理も同団体で行っている。
このほか、住居移転により失われた被災高齢者のコミュニティを再生させるため、農作業や昼食の提供を送迎付きで行う活動や、地域に新たな集いの場をつくる ”熱気球フェスティバル”を開催している。 今後は植樹や農作業体験以外にも、ビジターセンターの開設などを検討している。
自力復興していくため、豊富にある遊休農地と、砂地という特徴を利用した落花生の生産と加工品づくりに向けた活動を始めるなど、多方面から町の再生を図り、力を尽くしている。 >>詳細・手記
推薦者/渡邉 修次
認定特定非営利活動法人 みやぎ発達障害サポートネット
自閉症・発達障害のあるご本人とその家族が「あったらいいな」の願いを現実の支援につなげ、安心して暮らせる社会づくりに貢献することを目指して活動している。子ども支援事業における、放課後等デイサービスや未就学児童を対象とした児童発達支援では、その専門性の高さと共に、安心して子育てできるための保護者支援=協働療育として高く評価されている。また、福祉や教育の法のはざまにいる子どもたちを対象とした発達支援では、一人一人の特性に合わせた個別支援やグループ活動を取り入れた支援にも力をいれ、仲間との関係性を大切にしながら自己肯定感を育み、自分らしく生きる姿を目指している。保護者等を支援する事業としては、セミナーや研修会を開催し、発達障害についての正しい知識と理解のための学び合いや保護者同士の出会いとつながりを目的とした場の提供(「おしゃべりサロン」)を継続、実施している。
また、こうした活動について、写真や漫画を交えた会報誌(「すぽっと」)事業報告の冊子(ダイジェスト版)、HPやブログなどを利用して情報発信したり、支援者育成講座などを積極的に行ったりして、地域全体に浸透させていけるような活動を目指している。  >>詳細・手記
推薦者/認定特定非営利活動法人 杜の伝言板ゆるる
石巻復興きずな新聞舎
石巻復興きずな新聞は、2016年6月創刊。前身である「仮設きずな新聞」(2011年10月.16年3月・ピースボート災害ボランティアセンター発行)は震災5年を機に第113号で終刊したが、その後、同紙編集長や地元ボランティアらが中心となって新団体を設立し、「石巻復興きずな新聞」として復刊した。
「最後のひとりが仮設住宅を出るまで」を目標に、現在も月1回新聞を発行し、宮城県石巻市内の仮設住宅全戸と市中心部の災害公営住宅に配布している。発行部数約6,000部。新聞発行・配布を通して、情報発信による住民の自立促進、訪問・傾聴・みまもり活動による心のケアやつながりづくり、地域ボランティア育成による地域支えあいの仕組みづくり、県外ボランティアの受け入れによる震災の風化防止に取り組んでいる。  >>詳細・手記
公文 和子(ケニア)
公文 和子
ケニアのナイロビで障がい児施設「シロアムの園」を2015年に開設し、社会保障や社会福祉が乏しい同国で障がい児療育に携わっている。
小児科医である公文さんは、2001年にシエラレオネを訪れた時に、毎日何人もの子どもが死んでいくのを目の当たりにし、「一人の命に関わるとはどういうことか、自分に何が出来るのか」を自問自答した。その後、アフリカでHIVに関わる仕事を行うなか、社会保障や福祉の発達していない発展途上国で、取り残されてしまっている障がいのある子どもに目が向くようになり、困難を承知で「シロアムの園」を始めた。障がいがあるというだけで、悪霊がとりついているでは?と考えるような社会で、公文さんの「心を込めて寄り添う」療育活動により子どもに成長がみられ、その母親や家族に変化が見られ、子ども同士、家族同士がお互いを意識したり、悩みを相談したり、助け合う関係が生まれている。「シロアムの園」にいる時と同じように笑顔で過ごすことができるようにコミュニティを変えていくことを目指して活動を続けている。  >>詳細・手記
推薦者/井口 加代子
小松 みゆき(ベトナム)
小松 みゆき
1992年に日本語教師としてベトナムに渡り、最初の授業で生徒の一人が残留日本兵の子息だったことをきっかけに、残留日本兵との交流、執筆活動を通じ、埋もれていた歴史であった残留日本兵の存在を明らかにした。2015年に「ベトナムの風にふかれて」を執筆し、同年には映画化された。2017年には天皇皇后両陛下ベトナム御訪問の際、元日本兵の家族との面会に尽力し、その後「元残留日本兵の子どもの日本訪問を支援する会」の代表兼コーディネーターとして招聘事業に関わり、13名の残留日本兵の子どもの訪日を実現させ、お墓参りができた人、父子の再会を果たした人もいた。  >>詳細・手記
特定非営利活動法人キッズドア
豊かな日本の中で、7人に1人の子どもが貧困である。
特に一人親(特に母子家庭)家庭は、2人に1人が経済的に苦しく、一般家庭に比べると教育格差が生じ、貧困の連鎖に陥る。その連鎖を断ち切り、すべての子どもが夢や希望を持てる社会を目指し、2007年理事長である渡辺由美子氏が「キッズドア」を立上げ、2年後の2009年内閣府の認証を受け「特定非営利活動法人キッズドア」を設立。
経済的に苦しい家庭の子どもに向けて、無料学習会のほか、居場所作り、様々な体験活動、人材育成・教育開発、被災地の支援等を大学生、社会人になった若者、シニアの方々がボランティアで活動している。2017年度は33事業62拠点、登録生徒数2,064、登録ボランティア数1,085の活動規模となっている。
特に、無料学習会で将来に大きく関わる中学3年生向けの高校受験指導「タダゼミ」学習会は、設立以来高校進学率100%を達成している。
いち早く日本の子どもの貧困に取り組み、子ども達に明るい未来を作っていくための活動を続けている。  >>詳細・手記
推薦者/内山 清一
ひろはた自習・相談室
「教育の格差をなくしたい」との思いから2013年、退職した教員たちが中心となり神奈川県秦野市の大根・広畑地区の小中学生を対象に無償の学習支援をはじめる。毎週月・火・水・金の放課後、1回1時間、原則1対1でそれぞれの子どもに合った支援を行っている。
なかには、不登校や発達に特性のある子もいて、他の子と曜日が重ならないようにするなど、継続的に個別支援を行うことで、子どもたちの自己肯定感や学習意欲を高め、確かな学力向上を図っている。現在、小学1年〜6年生約20名、中学1年.3年生約10名がこの教室で学習している。
年々、他の地区から通う子どもの利用も増えている。
そのほか、もう一度勉強をしたいという大人のための「小中学校の教科書を学ぶ大人の講座」、「ボランティア養成講座」等開催し、秦野市教育委員会と連携して、地域の教育力の向上に尽力している。
学習支援の他、2018年1月から新たな事業として、他団体と共同して「みんなの食堂☆広畑」を設立し地域の子どもや高齢者を対象に、世代交流、孤食の防止、食育の推進など、食の大切さ、食を通じた地域の繋がりづくりにも取り組んでいる。 >>詳細・手記
推薦者/秦野市長 高橋 昌和
笠原 五郎(東京都)
笠原 五郎
家族が引揚げ者であるため、特別な理解と関心を抱いて昭和50年後半から「中国残留孤児」問題にかかわってきた。
なかでも、日本の両親や親族が見つからないが、日本での生活を希望する帰国者を憂慮し厚生省に掛け合って、100人以上の帰国者の「保証人」となり、無事に日本で日本人として人生を送れるようにした。
そのほか、中国語を活かしボランティアで、帰国者の日本語教室「東京都城南地区帰国者日本語教室」(2001年)を毎週土曜に開き、先生3名、生徒20名ほど、8年間教えていた。
笠原さんは全て自費で賄い、日本語教室以外にも日本の習慣、花見会、修学旅行、忘年会等を開催し、帰国者たちの戸惑いや哀しみをきめ細かい愛情をもって支えてきた。
帰国者たちは、御年98歳を迎えた笠原さんを「日本の慈父」として慕い、生きる支えとなっている。  >>詳細・手記
推薦者/武井 優、宮崎 慶文、「笠原さんへの感謝会」の世話人
奨励賞の贈呈
  • 顕著な活動の発展や拡大を継続中の過去の受賞者に、毎年1件奨励賞を贈呈しています。
高山良二さん(平成23年度受賞者)