年度別受賞者一覧

第52回 社会貢献者表彰 受賞者一覧
(敬称略)
【功績の内容】
  • 海難・水難、交通事故、遭難等に際し、身命の危険を冒して救助・救援に尽くされた功績
  • 犯罪等の発生に際し、身命の危険を冒してその解決に協力された功績
  • 災害・事故・犯罪の発生を未然に防いだ功績
  • 精神的・肉体的に著しい苦労、危険、劣悪な状況に耐え、他に尽くされた功績
  • 困難な状況の中で黙々と努力し、社会と人間の安寧・幸福のために尽くされた功績
  • 先駆性、独自性、模範性などを備えた活動により、社会に尽くされた功績
  • 海の安全や環境保全、山や川などの自然環境や絶滅危惧種などの希少動物の保護に尽くされた功績
小川 澄男(千葉県)
小川 澄男
2018年5月13日午後7時頃、店長として務めていた千葉市稲毛区の飲食店で、客として来店していた男とその男の実妹家族4名(女児6歳と1歳含む夫婦)が飲食中の個室から、突然大声や悲鳴が聞こえたため様子を見に行ったところ、男が包丁を妹にむかって振りかざしていた。
小川さんは、咄嗟にその男を後ろから取り押さえて、包丁を持っている右手首をつかみ、押さえつけながら応援を呼んだ。
客として来店していた男性のひとりが、小川さんに加勢して男を押さえつけた。男は執拗に包丁を放そうとせず、押さえつけられながらも被害者を足蹴りし、小川さんと男性は抵抗を続ける男を自らの危険を顧みず取り押さえて制圧し逮捕した。
実妹と1歳の女児も傷を負い、夫は重傷、6歳の女児は残念ながら亡くなった。小川さんたちが取り押さえなければ、家族全員が殺害されていた可能性が高く、更なる被害を未然に防止した。  >>詳細・手記
推薦者/公益財団法人警察協会
長谷川 雄大(大阪府)
長谷川 雄大
2018年6月4日の午後17時17分頃、仕事を終えて自転車で帰宅中、道路の反対側を男性3人が走ってくるのを目撃した。後ろを追いかける郵便局員の2人の男性が、〝待て、強盗″と叫ぶのを聞いた長谷川さんは自転車のまま道路を渡り、逃げる犯人と追いかける2人の間に入り追跡、犯人の右側から左手で首に手を回し、そのまま倒れこみ犯人を取り押さえた。その際、犯人が持っていたナイフが長谷川さんの左わき腹に刺さり、7針を縫う怪我を負い、5日間の入院となった。
負傷したことを知ったのは、痛みを感じて腹部を見たら、洋服が血で染まっていたからで、直後は犯人を取り押さえる事に夢中で気が付かなかったという。  >>詳細・手記
推薦者/公益財団法人警察協会
大岡 康治(兵庫県)
安宅 光平(兵庫県)
大岡 康治、安宅 光平
2018年1月5日午前10時35分頃、兵庫県宝塚市の住宅街で、「殺してやる」などと奇声をあげながら出刃包丁とハンマーを手に持った男が男性を襲っているところに遭遇した大岡さんは、自宅で騒ぎを聞きつけ駆けつけた安宅さんとともに、自らの危険を顧みず、出刃包丁とハンマーを男から取り上げ、押さえつけて制圧し、警察官に引き渡した。襲われた男性は頭部や左頸部などに9カ所に及ぶ傷害を負わされていた。後の取り調べで、男は「コンピュータから、近くの住民をすべて殺せとの指令が来た」などと意味不明の供述をしており、大岡さん、安宅さんが男を取り押さえなければ大惨事が起きている可能性があった。  >>詳細・手記
推薦者/公益財団法人警察協会
野村 浩史(岡山県)
野村 浩史
西日本で猛烈な雨が降り続いていた2018年7月6日、岡山県倉敷市真備町の自宅で野村さんは両親と過ごしていたが、車が浸水するかもしれないと思い、午後10時過ぎに車を高台に移動させた。雨が小康状態になるのを車中で待っていたが、雨の勢いは止まらず、両親が気になり車を残して自宅へ戻る途中、川の決壊で冠水し、水位は胸のあたりまで上がってきた。「これはまずい」と思った時、車の中に釣り用のゴムボートがあるのを思い出し、ガソリンスタンドで道具を借りボートに空気を入れると朝7時になっていた。
両親は市のボートで救助されたことを知り安堵したが、ボートを漕ぎだすと、水没した屋根の上で助けを求める人や水に飲み込まれそうな高齢者が見えた。水面を流れる瓦礫でボートが破れないよう慎重に進み、高齢者から順番に定員3人のボートに乗せ、ふたりずつ土手まで運び、住宅と土手の間を十往復し約20人を助け出したが、野村さんは疲労と脱水症状でボートの上で倒れ、流されているところを友人に発見され、救急搬送された。
野村さんが数日で退院すると野村さんに救助された近所の人たちがお礼に訪れた。  >>詳細・手記
埼玉・タイ王国友好協会
埼玉・タイ王国友好協会は、埼玉県の国際化の進展とタイ王国との更なる友好関係の維持確立を図り、民間レベルでの「草の根外交」を推進するために、前埼玉県知事故土屋義彦氏の全面的な支援のもと、1993年3月16日に設立された。
以後、上田埼玉県知事、埼玉県、埼玉県国際交流協会及び多くの会員の支援・協力のもと、教育支援・友好事業への協力など、有益な事業を推進している。
特に支援の届きにくいタイ王国北部の山岳地域を中心に活動を始めて設立20周年を迎えた。会員数は276者で、法人会員と個人会員の会費で成り立っている。
2005年から北部山岳地域に教育施設を建設し、校舎やオープンスタイルの教室、図書館、食堂、寄宿舎など9棟を寄贈した。
また、新たな取り組みとして2016年より、人材育成支援のために奨学支援も行っている。
これは、ソフト面での支援として、寄贈した教育施設の卒業生で北部山岳地域の教育関係の仕事を希望する高校生と大学生を対象に学費と生活費の一部を助成するもので、現在10名の学生を支援している。
さらに2017年からは、インフラ整備事業にも力をいれ、日タイ修好130周年記念事業として電気の無い村の通学路への太陽電池式街灯の設置を行ったほか、協会設立20周年記念事業として北部山岳地域での水道新設事業を新たに開始した。
国内での交流会やイベントにも積極的に参加し、国内外での友好と交流を深めて支援を続けている。  >>詳細・手記
推薦者/埼玉県県民生活部国際課
NPO法人 静岡市里親家庭支援センター
2005年に静岡市の政令指定都市移行とともに、静岡県中部地区里親会から「静岡市里親会」として独立。その後、国の制度改正により里親支援事業が社会福祉法人やNPO法人に委託可能となったため、2010年にNPO法人として承認を受け、元児童相談所長の眞子義秋氏が理事長に就任。以来、市の児童相談所と連携して里親制度普及促進事業と里親委託推進・支援事業を行っている。市の児童相談所は虐待対応等に追われ、里親支援には限界がある。子どもたちのことを考えればこのような支援は必須。
同センターは「啓発」「研修」「相談・支援」の3本柱を軸に活動を行っている。「啓発」では、里親一日体験や、記念講演会、里親体験談の発表、里親相談会の開催、メディアやHPによる発信がある。「研修」では、里親への研修会、未委託里親へのフォローアップ研修、スキルアップ研修などを行っている。「相談・支援」では、児童相談所が行う里親認定や里親子のマッチングの補助、元里子の自立支援などを行っている。里親の養育上の悩みや問題点については同じ里親同士の支援が有効で、里親同士が知り合い繋がることができ、未委託の里親と委託された里親間の交流にも役立つ「里親サロン」も開催している。また、里親への基礎的な養育研修や、多岐にわたるテーマ別研修(発達期に沿った愛着の修復、あそびの力で楽しい子育て、障害と自立支援、子どもの権利など)を年10回行い、里親が悩み、孤立してしまわない体制づくりと里親の資質向上に取り組んでいる。  >>詳細・手記
特定非営利活動法人 Hands On Tokyo
家族の転勤により来日したディーバ・ハーシュさんが、友人と共に日本語と英語の2か国語でボランティアができる組織として、2006年に創設し、2009年にNPO法人として認証を受け、2017年に認定を受けた。
ハーシュさんは以前所属していたボランティア団体が採用していた、多額のお金や、長時間拘束という負担を伴わず、仕事に影響を及ぼさない無理のない範囲でボランティアが出来るシステムを踏襲し、地域のNPOや児童養護施設、老人ホーム、障害者を受け入れている団体とパートナーシップを結び、それぞれのニーズにあった活動を提供し、アクティビティの支援を行っている。
また、2011年からは東北の被災地支援も行っており、去年は、熊本の震災被災地支援も開始した。
また10代の若者のボランティアへの参加と意識を高めるための活動にも力を入れている。日本では、子どもたちが小さいころからボランティアに参加する機会が少ないため、去年からは「ユースインパクト」という部門をつくり、インターナショナルスクールの子どもたちを中心に、ボランティア活動の輪を広げ、現在は、東京圏の高校や大学に所属する学生リーダーたちが主導して、ボランティア活動を企画・実行している。若い世代のこうした活動経験によって、各地域の有能なリーダーが育っていく基盤になるのではないかと考えている。  >>詳細・手記
NPO法人 エンカレッジ
沖縄県で塾を経営している坂晴紀さんが、子どもたちへ均等に学習機会を与えたい、全ての子どもたちに夢を持たせたい、自分たちの将来に希望を持たせたいと、就学援助児童への無償の学習塾「NPO法人エンカレッジ」を2011年に開設。「経済的に困窮している家庭の、意欲ある児童のための、学習に打ち込める環境づくり」を目的として、「頑張る意欲がある子どものためのセーフティーネット」として取り組んでいる。
現在は県下に24カ所の教室を構え、200名のスタッフと900人以上の生徒が通い、着実な広がりを見せている。
ここに通う子どもたちは、市町村の福祉窓口から紹介されたり、広告を見て応募してくる子どもたち。学習指導以外にも、進路指導、勉強することによっていかに自分の未来や可能性が広がるかを伝え、高校への進学を促すほか、高校進学後も居場所を提供していて、面接の練習や履歴書の書き方など生活指導も行っている。
通ってくる子どもたちには未来の可能性を伝えたり、話をよく聞いて導いていくと劇的な変化を見せ、伸びしろがとてもあると坂さんは感じている。安心できる居場所を提供し、褒め、知的欲求を満たし、達成感を感じることで、子どもの能力は無限に伸びていく。教育格差によって生じる負の連鎖を断ち切り、沖縄の出生率の高さをもって、社会で活躍できる子どもを育てるのは、まさに少子化の日本の現状を、将来支える仕掛けになるのではないかと期待される活動。  >>詳細・手記
株式会社 とくし丸
地域の過疎化や核家族化などによる買い物難民は全国に825万人いると推計され(2018年農林水産省調査)大きな社会問題となっている。徳島県下に住む母親から買い物に苦労している話を聞いた⑭とくし丸の代表取締役を務める住友達也さんは ①買い物困難者の支援 ②地域スーパーの売上支援 ③雇用の創出を目的とした移動スーパーのモデルをつくり、2012年に営業を開始した。
移動スーパーという形は行商から始まり昔からその手法はあったが、品揃え、売れ残りや近隣小売店舗との問題が壁となって長続きしない状況が続いていた。 ところが、住友さんが考えたとくし丸の方式は、販売パートナーにはそれぞれ個人事業主となってもらい、仕入れ・販売・ルート等ノウハウを全て教え、実際にスタートしてからも研修を行う。また相談窓口を設け、孤立させないように全体会議なども開催する。販売パートナーはとくし丸が契約した地元のスーパーの商品を持ち出し、売れ残ったら返品できるいわば販売代行で、提携スーパーが取り扱う生鮮食品や生活雑貨等の移動販売を行う。400品目1,200点の商品を冷蔵機能を備えた軽車両に積んで各エリアを巡回し商品を販売。
車で一軒一軒の家を回る商売は、時代の流れに相反するようにみえるが、「周回遅れのトップランナー」になれる可能性を秘めているという。利幅が少なくても、買いに来る人から”ありがとう”と声をかけられる充実感と満足感は何事にも代えがたいものがあるそうだ。現在、とくし丸の販売パートナーは400台に届き、日販平均(今年3月)は89,000円を超え、社会貢献性も高く持続可能な収益を得ながら地域で働くことができる仕事として注目されている。  >>詳細・手記
認定NPO法人 難民支援協会
母国の迫害から逃れて来日する難民に対し、来日直後から自立に至るまでの道のりに寄り添い、総合的支援を行うために1999年に設立した認定NPO法人。一人ひとりへの支援とともに、難民を受け入れる社会を作ることも目指している。
具体的な活動内容は、①法的支援難民申請手続きに関する情報提供およびサポート ②生活支援:カウンセリングを通じた医食住の確保、緊急支援金の支給 ③就労支援:就労資格のある方への日本語やビジネスマナーを学ぶプログラムの提供と企業とのマッチング ④コミュニティ支援:難民と難民が暮らす地域がともに暮らせるための取り組み ⑤政策提言/広報活動:NGOや政府との関係構築や政策提言、社会に向けて認知を広げて理解を深める活動に取り組む。難民への直接的な支援と同時に、難民を受け入れる社会を目指している。これまでに70か国・6,000人以上の方々を支援してきた。  >>詳細・手記
吉成 麻子(千葉県)
吉成 麻子
現在ファミリーホームを運営し、2歳から小4までの6人の子どもの養育をおこなっている。これまで16年間で15人以上の子どもと暮らしている。
里親に登録したきっかけは実子の同級生にネグレクト状態の子がいたこと。自宅で一緒に食事をしたり入浴させたりしていたが、男の子の保護者から苦情が出て、市役所や県庁に相談したところ、里親になることを勧められた。
これまで関わった子どもたちはみんな、実親のもとに帰っている。国籍も様々で東南アジアや南米の子を委託されたことも。4人の実子より低年齢の子どもを受け入れ、なかには生後6日目の子どももおり、乳幼児を中心に育ててきた。
3年前からはより大きな家庭をめざしてファミリーホームに移行、障害児も含む乳幼児を積極的に受け入れ、地域の人たちの助けを借りながら子どもたちを養育している。
さらに昨年、乳幼児の養育者支援を行う NPO乳幼児家庭養育の会を設立。千葉県の里親支援機関に認定され、毎月の里親ランチや道産子乗馬、四季折々の農業体験を通じて里親の親睦・互助を図っている。  >>詳細・手記
刈谷保護区協力雇用主会
刑務所、少年院等を出所した人をはじめ、保護観察対象者を雇用し社会復帰や再犯防止に繋げている民間の事業主(協力会社)の団体。全国で登録している協力雇用主は約20,000社。積極的に雇用していくためには地域の理解が必要である。全体で見ると離職が多いゆえに継続的な就労定着支援が必要である。
刈谷保護区協力雇用主会は、2007年に愛知県内の刈谷市と知立市の地域に所在する協力雇用主を中心に発足した。
現在、刈谷保護区の協力雇用主は24社。これまでに雇用した人数は40名を越え、それぞれ社会復帰に繋がっている。
刈谷保護区協力雇用主会は警察、保護司、役所等との連携が取れており、受け入れ態勢等が整っている。
犯罪のない地域社会を築こうとする啓蒙活動の一環として、毎年7月に「社会を明るくする運動」として保護司会、更生保護女性会等と連携し、市内各地で啓蒙物品を配布、多くの市民に地域社会の理解と協力を呼び掛ける活動もしている。  >>詳細・手記
推薦者/刈谷市役所 生活福祉課
公益財団法人 阪喉会
喉頭がん等により喉頭摘出手術を受け、声帯・言語機能を失った人に対し、代用音声による発声練習の指導や発声指導員の養成研修、喉頭摘出者専用の発声補装具や専用の日常生活用具の研究・製作、販売、並びにこうした身体障碍者の社会参加の促進を図る目的で1946年に設立された。このような会は、当初日本はもとより世界でも初の取り組みだった。また、 喉頭がんの一次予防としての禁煙運動の支援事業も展開している。言語機能喪失者の代用音声として、食道発声法、笛式人口喉頭発声法、電動式人口喉頭発声法、シャント発声法などがあるが、器具を使用せずに発声する食道発声法が主流となっている。これらの各発声法を、肥後橋教室、大阪大学付属病院発声教室、大阪国際がんセンター発声教室の3か所で、上達度合いによりクラス分けされ毎週開催されている。阪喉会は、講師も事務方も全てボランティアによって運営されている。
機関誌を作成して、年間行事の様子や会員からの投稿などを掲載している。話せないことによって引きこもりになる人も多いため、一泊旅行などを計画して外に出る機会を設け、悩みを打ち明け合う機会を作るなどしている。また、毎年5月の世界禁煙デーに合わせ、禁煙を訴えるイベントを行い、この活動には大阪市の職員や国立がんセンターの看護師や医師なども参加しており、NHKも取材に訪れるなどして、毎年とりあげられている。また、受動喫煙についての厳しい条例制定に向けて大阪府への働きかけも行っている。  >>詳細・手記
推薦者/特定非営利活動法人日本喉摘者団体連合会
ポリオの会(東京都)
ポリオの会
ポリオに罹患し障がいを抱えている人たちが活動している当事者団体。
ポリオ、ポストポリオ症候群(ポリオに罹患した人が、ポリオ発症から数十年後新たな手足の筋力低下、しびれ、痛みなどの症状が発現する)を発症していた小山万里子さんが、自分以外にも同じように苦しんでいる人がいるに違いないと、1995年に新聞の投稿欄で呼びかけ、活動が始まった。
主な活動は、現在ポリオやポストポリオ症候群について知っている、又は診断できる医療従事者が少ないことから、情報やデータを提供し実情を伝えて診断のできる医療従事者を増やしていくこと。また日本では生ワクチン接種によるポリオの発症が続いていたことから、不活化ワクチンへの切り替え要請を、署名活動や世界のワクチン状況地図(日本が先進国と言われる国々のなかで不活化ワクチンへの切り替えを行っていないと一目でわかる)を作製して、2012年の切り替えに貢献した。
医療難民化したポリオ患者へのフォローを日常的に行い、ポリオ根絶を訴える取り組みを続けている。  >>詳細・手記
推薦者/米本 恭三
あさお落書き消し隊(神奈川県)
あさお落書き消し隊
神奈川県川崎市麻生区の新百合ヶ丘駅周辺地区は、整然とした秩序ある街づくりが評価され1998年に「都市景観100選」を受賞したが、2000年頃から駅前ロータリー、ペデストリアンデッキの柱や壁が落書きで汚され、来訪者からの苦情もあった。
2005年に"新百合ヶ丘駅周辺景観形成協議会"と"麻生まちづくり市民の会"が協働で「あさお落書き消し隊」を設立。"落書き"という小さな犯罪をなくすことが凶悪犯罪の芽を摘むという「ブロークン・ウィンドウ」理論の考えで「書かれたらすぐに消す」をモットーに活動している。
"年に1.2回大規模で行う落書き消し"と"出前落書き消し"を行っており、大規模な落書き消しは、区のホームページやチラシなどで呼びかけて集まった市民、近隣の企業、地域行政機関などと一斉に作業を行う。多い時は、70名程の人が集まり新百合ヶ丘駅、百合ヶ丘駅、柿生駅等の駅周辺の落書き消しを実施する。
「出前落書き消し」は、市民等からの"落書きを見つけた情報"を得て、その都度実施している。
その他、落書き消しフォーラムを開催し、専門家の講演など啓発活動も行っている。
13年の地道な取り組みで、駅周辺から落書きは激減したが、区内では今でも落書きはなくならない。今後も活動を通じて「街に興味をもってもらう」ことで区内の美化と安心安全な街づくりを目指している。  >>詳細・手記
バングラデシュの人々を支える会
1998年、バングラデシュが100年に1度といわれる洪水被害に見舞われた際、当時名古屋大学大学院環境医学研究所に留学していたモハマド・アオラド・ホセインさんから、母国の洪水被害の人々の救済をしたいと相談された横山紀子さんは地域の主婦たちとダンボール箱38個分の救援物資の衣料品等を送った。それに先立ち横山さんたちは、寄付金を持って現地に向かい、購入したサリー5,000枚を無償配布した。だが、想像を絶する貧困を目の当たりにし、今後も引き続き支援活動をしていこうと、1999年「バングラデシュの人々を支える会」を設立。
農村部にあるシブチョール村の島地区を拠点に、女性の自立支援・子どもの教育支援を目標に活動を始めて20年目を迎えた。
女性たちが経済的に自立するため、2001年に牛牧場を設けたが、数年後経営が難しくなり、牧場の代わりに女性1人に牛を1頭ずつ、計100頭を供与し、自宅で飼育することにした。結果、個人で牛を所有することで自助意欲がでて、経済的に自立できるようになった。
島地区の親たちは読み書きができないため、子どもたちが貧困から抜け出せるように村で初めての小学校を2011年に建設。当初は13人だったが、2016年には118人まで増え、読み書きや算数、ベンガル語や英語などを学んでいる。  >>詳細・手記
推薦者/尾張旭市
社会福祉法人 訪問の家
重症心身障害児者といわれる重い障害のある人たちの通所施設に関する法律がない時代の1986年に「朋」を開設するところから、法人の運営をスタートした。
「朋」は、1972年に始まった横浜市立小学校の訪問学級と母親学級が母体となり、重い障害のある人が学校卒業後も通える場、集える場をとの願いから、横浜市の理解を得て、一部地域住民の反対という試練を経ながらも、同市栄区桂台に全国でも例のなかった重い障害のある人の通所施設として開設した。現在、全国300ヵ所に及ぶ重い障害のある人が社会参加できる通所施設の先駆けとなった。
現在、訪問の家は横浜市栄区、磯子区、旭区で、重い障害の人たちが地域で暮らす支えとなる13ヵ所のグループホーム、5ヵ所の生活介護事業所のほか、相談支援事業、ホームヘルパー活動、診療所さらに日々の暮らしを見守る後見的支援事業や高齢者の地域包括支援事業など、「一人ひとりを大事に」また「誰もが暮らしやすい社会づくり」を理念に、30年を超える法人運営を続けている。  >>詳細・手記
社会福祉法人 滝乃川学園
1891年当初立教女学校の教頭であった石井亮一氏により、日本で最初の知的障がい児者のための社会福祉施設「孤女学院」として東京都北区滝野川に創立、その後石井氏は職を捨て知的障がい児の教育・福祉に全力を注いだ。
明治期から戦前にかけては、現在のような福祉制度は存在せず、公的な支援の無いなかで、名称を滝野川学園(学園)に改名し、所在地も東京都の豊島区、そして1928年に現在の国立市谷保に土地を取得し移転した。この間、学園は石井氏とともに夫人の筆子氏の献身的な努力により支えられた。
学園は石井夫妻の苦労が結実して公的(東京都)な支援制度が確立される中で、夫妻亡き後もその意志を受け継ぎ、わが国で最初の知的障がい児者のための施設として運営されている。
現在、7,000坪程の敷地内の障がい者支援施設、地域支援部、認知症対応型共同生活介護施設などとともに地域での生活の場である障がい者グループホーム20寮ほどの施設で、入居者120名程が施設内で生活。
通所者150名程とグループホームから80名程が通所で利用。職員約200名、ボランティア延べ500.600名程で運営されている。  >>詳細・手記
学習サポート・スコラ
「発達障がい」という障がいについてよく知られていない頃から、学校や塾で教えていた教師や講師が対応に苦慮していた経験をもとに、発達障がいに端を発して学習が困難な子どもも通える学習の場(塾)を提供しようと2011年に「学習サポート・スコラ」(スコラ)を開設した。
スコラのマークは、青のハート(心)と黒の頭脳(頭)の両方を育もうとのメッセージが込められ、「みんな学べる、みんな学ぼう」の理念の下で、発達障がいにより様々な困難のある子どもを含め、近隣の小、中学生から高校生や大学生、不登校の生徒、中途退学等により在籍校の無い生徒、日本語を母語としない生徒、さらに社会人までの40名ほどの生徒に12名の講師による1対1の個別学習を中心に保護者、在籍校、医療や相談機関等と連携しながら、より効果的な学習支援を続けている。  >>詳細・手記
推薦者/NPO法人なんとかなる
特定非営利活動法人 BONDプロジェクト
創設者ルポライターの橘ジュン氏は、30年近く前から、終電が終わっても新宿や渋谷の街に留まっている少女たちを見て「なぜここにいるのか」気になり、声をかけ、彼女たちの思いに耳を傾けてきた。話を聴くうちに、少女たちは家にも学校にも居場所が無く、トラブルに巻き込まれていても信頼できる相談相手もいないことがわかる。それを記事にして世の中に発信していたが、目の前にいる少女たちに自分たちが出来ることは何か?と2009年にBONDプロジェクトが始まった。
渋谷を中心とした街頭パトロールやアンケートの実施。必要によってはシェルターでの一時保護。少女たちの「声」を伝えるフリーマガジンVOICESの発行。メールや電話での相談の受付。そして弁護士や行政機関、医療機関などの専門家へ繋ぐ。活動の中心はSNSを使用した相談になりつつあり、LINE相談を週5回行っている。いずれの活動でも本人に直接会って「大丈夫。一緒にどうするか考えよう」が活動の基本。これまでに3,000人以上の少女たちの相談にのってきた。  >>詳細・手記
株式会社 パン・アキモト
(株)パン・アキモトは、秋元義彦社長の父、健二氏が1947年に創業し、2017年に70周年を迎えた町のパン屋さんだが、長期保存できるパンの缶詰を発明し、日本のみならず世界の飢餓地域へ届ける仕組みを作り上げた。
きっかけは、1995年阪神淡路大震災で被災地にパンを届けたが、日持ちしないため3分の2は食べられずに廃棄され、被災者から「柔らかくて長持ちするパンを作って」との声で、秋元社長は試行錯誤を繰り返し、柔らかく保存のきく「パンの缶詰」を誕生させた。
パンの缶詰は備蓄食としている場合が多い。備蓄期限を超えた商品の多くが廃棄されている。アイデアとして救缶鳥プロジェクトを思いついた。
救缶鳥プロジェクトは、保存食リユースシステムの先駆的な取り組みで、3年間保存できるパンの缶詰の期限を1年.1年半を残して回収し、被災地や世界の貧困国に送る。回収した缶詰の下取り金額、送料等はアキモトが負担している。2018年9月現在、世界に届けられたパンの缶詰と救缶鳥の数は、27万840缶になる。また、食べた後の缶がゴミにならないよう、コップや食器として再利用できるように工夫されている。
救缶鳥プロジェクトの一環でアフリカの子どもたちへ運動靴を贈る運動も始めた。その他、人手不足を見越して外国人研修生を積極的に受け入れるなどの活動も行っている。  >>詳細・手記
国際交流Seya(神奈川県)
国際交流Seya
横浜市瀬谷区で外国人に日本語を教えて今年で25年を迎えた市民団体。代表の舩矢多紀子さんが、「地域に暮らす外国人に安心して少しでも楽しく毎日を送ってほしい」との思いから1993年に日本語教室を始めた。
当初は、生徒1人に先生が3名で日本語を教えていたが、2年後には生徒の人数も25名ほどに増え、1対1で教えるようになった。日本語教室のほかに生け花や料理教室、クリスマス会、講演会などイベントを通じて互いの交流の輪を広げてきた。生徒の中には、日本語教室で勉強中に突然悩み事を相談してくることもあり、話を聞いてアドバイスをしたり、内容によっては、公的機関に同行したりすることもあった。
日本語教室は、毎週水曜日の午前中に開催しており、中国、ベトナム、フィリピン、タイなど10ヵ国の約30人が利用している。20年ちかく教室に通って勉強している人もいる一方で、日本語能力試験一級・二級に合格して社会で活躍している人も大勢いる。何人かは介護や通訳などの専門職にも就いている。
会のスタッフは、25名程で、50歳.80歳の主婦や退職後の男性がボランティアで教えている。生徒一人ひとりの学習記録をつけて、何を学習しているのか、これから何を習いたいかなどの情報を、スタッフ全員が共有できるように工夫して活動を続けている。  >>詳細・手記
認定特定非営利活動法人 リボーン・京都
1979年から民間有志によるカンボジア難民救援会で、慈善バザーを行っていた婦人グループが、活動を拡大したためそこから92年に独立した団体。難民キャンプや途上国で縫製を指導する活動を主に行っている。寄付される古着の中に正絹等の着物が多くあったが、難民がそのまま着るわけにもいかず、用途を考える中、ボランティアをするデザイナーが、ほどいた着物の生地を洋服に仕立て直す方法を提案。当初は団体ボランティアの手でリフォームし販売されていたが、難民キャンプには、国連から寄付されたミシンがあることを知り、それならば、難民の自立にもなると、90年からカンボジアを皮切りに洋裁技術の指導を開始した。①国内で寄付された着物の生地を、ボランティアがほどき、洗い張りをして、型紙と完成見本品を付けて現地に送る。②指導者の元、パターンに沿って現地の人が縫う。③厳しい品質検査を経て、洋服に生まれ変わった製品を買い取る ④日本に送り返され、販売され、寄付や活動資金にするといった流れで、団体のモットーとして、ただ買い与えるのではなく、難民の支援がモノではなく、技術指導でと、途上国の女性や若者の精神的経済的自立を支える活動を行っている。  >>詳細・手記
パソボラさーくる虹
「パソコンの指導を通じて、視覚障がい者のバリアフリーを支援するとともに、社会参加と自立の促進に寄与することを目的にしたボランティアサークル」で、1998年に発足した任意団体。
キャッチフレーズは「あなたのカをだれかのために、小さな勇気が大きなカに」。
2019年4月現在、200名近いユーザー(視覚障がい者)と50名を超えるサポーター(晴眼者のボランティア)会員によって運営されている。
活動内容は、毎月第二日曜日の午前と午後の2回に分けて、福岡市市民福祉プラザ内の研修室・ボランティアルームで、視覚障がい者のパソコン・スマートフォンの利用、操作方法について学習をしている。
指導は主に、スキルアップしたユーザーが担当し、サポーターが補助するのが本会の特徴。
自宅の音声パソコンのセットアップやソフトのインストール、パソコンのトラブルで助けが必要なときは、その分野を得意とするユーザーやサポーターが、1回2時間をめどに、訪問サポートで対応している。
その他、会員同士の交流として、メーリングリストの運営、忘年会やハイキングの開催などを通じて、視覚障がい者の社会参加と自立の支援を実践している。  >>詳細・手記
シスター 井上 千寿代(インドネシア)
シスター 井上 千寿代
神学を学び、英語や宗教など日本で教育に力を注いだ後、1991年にインドネシアに渡り、アメリカ人のシスターたちとともに聖心会のコミュニティを発足させ、現在まで、貧困家庭の子どもの教育に尽くしてきた。ストリートキッズたちが小物づくりなどの仕事をするコミュニティをつくり、彼らの日々の問題、将来の生き方、正義や権利について話し合い、ともに学びながら彼らの教育を助けた。その後、FAKTA(Forum Warga Kota Jakarta)というNGOを作り、大きな社会問題となっていた強制撤去や教育の問題を解決するため、自立と組織作りができるリーダーを養成するリーダーシップトレーニングを始めた。
また子どもと母親に本に触れる機会を持って欲しいと、10ヵ所の地域で移動図書館を始めた。
インドネシアを日本の多くの支援者とつなぎ、多岐にわたる支援活動をしている。  >>詳細・手記
推薦者/海外邦人宣教者活動援助後援会(JOMAS)
瀧谷 昇(奈良県)
瀧谷 昇
JICAの前身である海外技術協力事業団(OTCA)が実施したコロンボ計画により、1974年25歳の時に勤務先の義肢製造の会社から1年間アフガニスタンに義肢作りの指導教官として派遣された。帰国後、1980年に株式会社奈良義肢を設立。同国へ刺繍糸を贈る活動をしている西垣敬子さんの誘いで、孤児院の足のない子どもたちに義足を制作するために26年ぶりに同国を訪れたことを契機に、2002年から「アフガニスタン義肢装具支援の会」として活動を開始した。
現地で一度に20人分ほどの「型取り」を行って、日本で制作し、現地を訪れ「装着」作業と次の「型取り」を行う。一人ひとりのカルテを作成し、成長に合わせてメンテナンスをする。これまでに約230人に渡すことが出来た。
2014年頃から情勢によりビザ発給の許可が下りず、完成した義足5名分を届けることができていない。現在会としての活動は終了しているが、個人で活動の再開を模索している。  >>詳細・手記
齊藤 朋子(東京都)
齊藤 朋子
2009年に獣医師となって以来、野良猫の不妊手術を専門に行う病院を開き、これまでに行った手術は16,000頭を超える。繁殖制限により望まれない命を生み出さないことが、犬猫の殺処分ゼロに繋がると、ボランティア団体との連携により、着実に目標達成に向けて活動が行われている。また、全国各地で行われるボランティア医師による犬猫の不妊手術への参加や、他県からの出張依頼手術にも応じている他、行政や臨床獣医師にも理解を深める為の働きかけを行い、術式の普及・技術指導も行う。
2010年には国内における殺処分ゼロの目標に向けて、NPO法人ゴールゼロを設立。理事長に就任し、都内の小学校などで、動物を通じて命の大切さを教える教室を開催。奄美大島の世界遺産登録に向けて行われた野猫駆除に対しては、6万以上の署名を集め、定期的に島を訪れ地元での聞取りなど現地調査を経てその実態を明らかにするなど、野生動物を含め、ペットと人間が共生できる社会に向けた活動に尽力されている。  >>詳細・手記
推薦者/山口獣医科病院 院長 山口武雄、公益財団法人 どうぶつ基金
有限会社 赤間工業
赤間徹さんは、福島県浪江町で建設業を営み、配管工事などで原発の維持管理に関わっていたが、東日本大震災後発生後、事業は開店休業状態で、現在は廃炉作業に携わっている。
原発の事故後、避難先で動物を引き取ることができないという事情から多くの犬や猫が飼い主とはぐれ、ケガや病気で毛が抜け落ち、痩せこけた状態で露頭に迷っていた。赤間さんはもともと動物好きだったことや、これまで原発を支えてきた立場という自責の念から、こうした犬や猫を放っておけず、保護してはインターネットなどで新たな飼い主を探し、引き渡してきた。
赤間さん自身も被災者であり、避難先の郡山市から浪江の自宅へ通いながら犬や猫を見つけては保護し続け、自身の貯金なども切り崩しながら餌代などを捻出してきた。避難指示が解除された今も、家族は避難先に留まっているため赤間さん一人、自宅で犬猫の面倒を見ている。これまでに新しい飼い主に引き取られた犬猫は1,000頭余り。
また、定期的にアライグマなどを捕まえて、弘前大学で放射能の汚染量を計測してもらい、汚染度の増減なども記録し続けている。汚染された林の食べ物を食べ続けている動物の数値は上昇しているが、次の世代のために、町の復興のために、自発的にこうした地道な努力を続けている。  >>詳細・手記
特定非営利活動法人 宮崎野生動物研究会
1973年から動物園副園長・宮崎大学職員らのボランティアらが、本土では一番上陸・産卵数が多い宮崎県の一ツ葉海岸周辺の25㎞にわたり、アカウミガメの調査を開始した。活動が報道されたことで、市及び県が天然記念物に指定し、ウミガメの卵の盗掘が徐々に減った。海岸清掃を続けながら、上陸・産卵巣数、ふ化率、親ガメに標識をつける個体調査等を50年近く続け、それらの調査結果を毎年県や市に報告してきた。カメにつけた標識を見た中国人船員からの手紙等が届けられ、そうした情報から、冬にウミガメは東シナ海に生息していることも明らかにした。さらに、ダム・護岸建設の影響や離岸流により、200m程あった砂浜が5m幅に侵食されていく海岸線の現状や原因、及びそれらのウミガメへの影響に関して、国土交通省に報告するなど海洋環境の保護にも尽力している。
ボランティア会員は退職後の人から学生等まで年齢層も幅広く、ニホンカモシカやニホンザル、イノシシなどにも調査依頼が拡大している。このように、発足以来、希少動物や絶滅危惧種の調査や保護を48年に亘って、世代交代をしながら活動を繋いでいる。  >>詳細・手記
推薦者/宮崎県教育委員会
中津 賞(大阪府)
中津 賞
大阪・堺市で動物病院を経営する中津獣医師は、傷ついた野鳥を手当し自然界へと戻す活動を1974年から行っている。ガラス窓や自動車にぶつかったり、農業用ネットに絡まる等、主に人の生活に関係して傷ついた野鳥を治療し、リハビリを行い野生へ戻している。同年、大阪府知事より、野生鳥獣救護ドクターの指定を受け、年間140羽前後の傷病野生動物(主に野鳥)を受け入れ、無償で治療し、うち65%以上を放鳥、これまでに救護した数は6,000羽を超える。
また、タンカー流出事故で油まみれになる油汚染海鳥の救護ができる人材養成の講習会を私費で毎年開講し、既に800名を超える修了生を得ている他、2008年にはNPO法人野鳥の病院を開設、代表として、年に6回、獣医師・動物看護士・一般市民を対象に野生動物の救護が出来る野生動物リハビリテーター養成講座を毎年開講し、これまでに120名が修了している。  >>詳細・手記
菅野 正巳、菅野 直子
シマフクロウという翼を広げると180cmにもなる日本最大のフクロウを保護する活動を夫妻で行っている。シマフクロウは絶滅の恐れが最も高い絶滅危惧A類に指定されていて、北海道東部、サハリン、千島列島南部だけに生息しており、道内ではおよそ160羽いると推定されている。
1992年に東京から北海道に移住し、シマフクロウの調査を行って任意団体「シマフクロウを増やす会」を結成し保護活動を行ってきた。
2008年にNPO法人シマフクロウ・エイドを設立し、シマフクロウが生息できるように生態を保ちながら保護するという難題を試行錯誤しながら給餌活動、モニタリング、植林、パトロール活動を行っている。またこうした保護活動が人間の住む環境をも守ることを訴え、次世代を担う地域の子どもたちへ環境教育や講演会などの啓発活動を行っている。  >>詳細・手記
推薦者/田中 元介
社会福祉法人 札幌報恩会
重度の知的障がい者を対象とした施設で、創設者は“不遇なこのこどもたちをもらい子と思って、退園後も目を離さず手を携え、親として面倒をみていく”ことをモットーに、1918年に創設され昨年創立100周年を迎えた。現在は500名近い利用者に対し、24時間365日対応する施設を敷地内に3ヵ所有し、他にも5,000㎡の広大な敷地に12の施設があり、グループホームも市内に17ヵ所、80人が暮らす。利用者は北海道内、主に札幌から280名程が通所し、220名程が居住し、彼らを350名のスタッフが支えている。
地元町内会との交流も盛んで、認可保育園も施設内に有する。
北海道有数の福祉施設として、利用者のニーズに対応しながら事業を展開し、長きにわたり活動を続けている。  >>詳細・手記
推薦者/筒井 哲雄
特定非営利活動法人 まきばフリースクール
1999年に宮城県栗原市の自然と動物に囲まれた環境の中でスタートした不登校児のための寄宿型フリースクールで、生きづらさを抱えた人たちを迎え入れてきた。ニーズに併せ、障がいを抱える青年たちの生活の場のグループホームや家族と暮らすことの出来ない子どもたちのためのファミリーホーム、自立準備ホームや就労の場として高齢者介助デイサービスの運営なども行っている。また農作業を体験し成果物を販売するなど循環型の環境作りに力をいれていて、人も資源も循環型のソーシャルコミュニティを作ることを目指している。職員35名中約7割が当事者から回復したスタッフとして利用者を支えている。  >>詳細・手記
推薦者/特定非営利活動法人ロージーベル
特定非営利活動法 人パンキャンジャパン
すい臓がんの患者やその家族を支援するために、アメリカの非営利団体パンキャンの日本支部として2006年に設立されたNPO法人。
設立当時、5年生存率がわずか5%の最も難治性がんであるすい臓がんは、罹患者数≒死亡者数ともいわれ、有効な抗がん剤も少なかった。長期生存者が少ない難治性がんだが、高齢化に伴い年々罹患者が増加している。このような状況を変えるため3つのミッション「すい臓がん研究者・医療者の支援」「すい臓がん患者・家族への支援」「すい臓がんについて希望を創る」を掲げ活動している。具体的には、患者・家族が必要としている情報を提供し、一緒にサポートのためのサービスを探す、ホテルコンシェルジュのような活動PALS(パルス)、ドラッグラグ(欧米で使用されている標準治療薬が日本で承認されるまでの遅れ)解消のための署名運動や政策提言活動、最新の治療法の情報提供、顕著なすい臓がん研究者へ「パンキャン賞」の授与、すい臓がん撲滅チャリティイベント「パープルストライド」やセミナーの開催などを行っている。また、全国の専門医、医療機関、日本膵臓学会などと連携し、2020年までに倍の生存率をめざす。  >>詳細・手記
推薦者/田辺 毅彦
清水 孝夫(宮城県)
清水 孝夫
石巻市の友好都市である中国温州市から受け入れた水産加工技術研修生から日本語を学びたい、習慣や文化も知りたいと要望され、寺子屋式の教室を開いたのが活動の始まり。
1999年2月にボランティア団体をつくり、20年間に亘り日本語教室の活動を通して在住外国人の自立と社会参画を支援している。
元教師や定年した人たちがボランティアで日本語を教え、これまで約500人を超す修了生を輩出している。修了生は、石巻市の外国人相談員や外国人児童生徒の学習サポートとして活躍している。
在住外国人が年々増加していることから、設立当初からの教室に加え、3年前に石巻市の要請で外国人技能実習生を対象とした教室(みなと荘教室)を開設し元教師などの8名のボランティアが熱心に教えている。
清水さんは、教室の手配や季節ごとのイベント企画、行政との連絡調整のほか、悩みや相談にのるなど親代わりの存在となっている。
また、在住フィリピン人やインドネシア人、中南米諸国出身者のコミュニティづくりにも力を注ぎ、共同して出身国における地震、津波、台風などの災害義援金募金活動にも積極的に取り組んでいる。
今後も、外国人にとって石巻市が暮らしやすい街であり、実習期間を終えて帰国した外国人が日本に来てよかったと思えるような居心地の良い多文化共生の街「石巻」にしていきたいと考えている。  >>詳細・手記
推薦者/石巻市復興政策部地域振興課長 五十嵐 秀彦
とっとり・民話を語る会
前身の鳥取民話研究会の活動を通して、民話を語り継ぐことのすばらしさから、平成12年に語り活動へとシフトした。
これまでに鳥取市の小学校ほぼ全てで民話を語り、保育園で、毎月2カ所で3、4、5歳それぞれのクラスに分けて民話を語り、高齢者や障がい者施設、公民館の生涯学習では多いときで100名もの聴衆の前で語り部4、5人で約60分間民話を語っている。
語り部は一人平均30話を語ることができて、聞き手の年齢に合わせた語り口で、話の背景、方言や民話用語、いろり・釜・蓑といった生活用具の実物を見せたり、模擬したりして、事前の準備も怠らない。
国の文化は、地方文化の礎にある。現在7名の語り部会員と共に、伝承文化の継承と拡大に務めている。  >>詳細・手記
推薦者/小林 龍雄
一般社団法人 山形バリアフリー観光ツアーセンター
加藤健一さんは21歳で筋ジストロフィーを患い、32歳で自力歩行が困難になり車椅子生活を送るようになった。そして障害者の社会生活にいかに多くの制約があるかを実感した。
健常者であった経験と障害者としての経験両方の視点を社会に活かして、障害者をもっと理解してもらうための環境づくりをしたいと考えるようになり、2014年に有志を募りボランティア団体「Gratitude」を結成した。障害者等用駐車場の塗装作業(ブルーペイント大作戦)や、バリアフリー交流会などを通じて、障害者の外出促進と健常者・障害者間のコミュニケーションの活性化を目指して、意欲的に活動を行っている。この活動から障害の有無にかかわらず、誰もが不自由なく好きなところへ行けて、好きなことができる「観光支援」をするべく設立したのが「一般社団法人山形バリアフリー観光ツアーセンター」。障害者への対応可能な設備が整った場所を探して、行ける場所へ出かけていくのではなく、行きたい場所に行き、やりたいことに挑戦してもらう機会を作りたい。そのためには何が必要で、どのような環境を整える必要があるのかを考えることが活動の目的。バリアフリーの情報発信、提供事業研修会、講演会、擬似体験会の開催、高齢者及び障害者への旅行支援、各種旅行、イベント等の企画運営事業、福祉器具、介護用品などの販売やレンタル、車いすでも履きやすいフライングジーンズの開発、バリアフリーコンサルタント等を行っている。
2015年には、加藤さん自らが車椅子で県内初のパラグライダータンデムフライトに挑戦し成功。2016年には日本で唯一、車椅子によるパラグライダーフライトができる施設を誕生させ、国内外からフライト体験希望者を受け入れている。  >>詳細・手記
奨励賞の贈呈
  • 顕著な活動の発展や拡大を継続中の過去の受賞者に、毎年1件奨励賞を贈呈しています。
広瀬 紀子さん(第50回受賞者)