受賞者紹介

第52回 社会貢献者表彰
しすたー いのうえ ちずよ

シスター 井上 千寿代

(インドネシア)
シスター井上千寿代

神学を学び、英語や宗教など日本で教育に力を注いだ後、1991年にインドネシアに渡り、アメリカ人のシスターたちとともに聖心会のコミュニティを発足させ、現在まで、貧困家庭の子どもの教育に尽くしてきた。ストリートキッズたちが小物づくりなどの仕事をするコミュニティをつくり、彼らの日々の問題、将来の生き方、正義や権利について話し合い、ともに学びながら彼らの教育を助けた。その後、FAKTA(Forum Warga Kota Jakarta)というNGOを作り、大きな社会問題となっていた強制撤去や教育の問題を解決するため、自立と組織作りができるリーダーを養成するリーダーシップトレーニングを始めた。
また子どもと母親に本に触れる機会を持って欲しいと、10ヵ所の地域で移動図書館を始めた。
インドネシアを日本の多くの支援者とつなぎ、多岐にわたる支援活動をしている。

推薦者:海外邦人宣教者活動援助後援会(JOMAS)

この度、社会貢献支援財団よりの受賞を、心から感謝いたしております。その式典に参列させていただきましたお陰で、多くの方々の、活動をうかがうことができました。人命救助、若者たちの教育、自然保護、身体不自由な方々の援助など、どのお話しをうかがっても、人々が共に生き抜く力強さに感銘を受け、私自身も大きな力をいただきました。

1991年から、聖心会は、インドネシアの特に教育の機会に恵まれない若者の教育のためにということで、2人のアメリカ人と、日本人の私との3人で、ジャカルタの一角で、生活を始めました。まず地元の様子を勉強しようと、イエズス会経営のジャカルタ・ソーシャル・インスティテュート(後日有志によるFAKTAというNGOに移行)を訪問し、そこで、スタッフに英語を教えながら、ジャカルタの状況、特に貧しい地域の人々について、学びました。私は、すぐ、そのセンターにやって来るストリートキッズと関わりを始めました。彼らを担当していた弁護士ティゴールさん、アリさん(FAKTA)は、式典に参加いたしました。そして、女性の弁護士ティティさんも、共に担当していました。まず、彼らが教えてくれた大原則がありました。それは、『ストリートキッズの生活のリズムを邪魔しないで、徹底的に尊敬する事。』でした。即ち、いつでも彼らが来たら受け入れる、いたずらをして、どこかへ逃げて行ったら、後を追わない…ということでした。

私は、アリさんたちと、彼らと何をしたらいいか相談した結果、何か売れるものを作らせえみようということになり、バティック人形のブックマークから始めました。週に1,2回、NGOのセンターに集まって、15歳前後の若者、10人ぐらい、少し後になって、10歳前後の子供達15人くらいが、参加しました。ブックマークから、写真立て、メモ箱、ファイルケースと彼らの技術も伸びて来ました。出来上がったものは、日本の友人の助けで、地下鉄、銀座4丁目の【愛のセール】という店で、数年間、売っていただきました。

普段、バスに乗って、歌うたいをしたり、物貰いをしたり、一日の食べるためのお金を稼ぐのが精一杯で、貯金の感覚はありませんでした。各自、何点作ったかによって、作業の半分の額を彼らにあげていました。インドネシアの最大のお祝い日は、イスラム教では、1か月の断食の後、Idul Fitriというレバランのお祝いです。 この手芸のおかげで、彼らは、自分の作業分の残りの半額分を受け取ります。これは、今までにない金額を、受け取ることになった訳で、大喜びでした。

タルノ君は、6万ルピア(約600円)受け取りました。彼は、早速6万ルピアの皮の靴を買って、戸棚の上に乗せて、しげしげと眺めて自分ながらに感動していました。10万ルピア受け取った、子供好きのピルジョ君は、近所の小さい子供たちに、飴玉を買って一人一人に分け、500ルピアずつお金を配っていました。 3千ルピアもらった、9歳のエディ君は、お米を買い、私が袋を作り、バンドンのうちに帰っていきました。Idul Fitriの日は、みんなで、車を借りて、デュファン(ミニディズニーランド)へいきました。新しいシャツと、新しい靴を履いて勇んでいきましたが、帰りには、みんな、足が痛いと、くつをぬいで、肩かついで、帰ってきたわけです。

結局、エディ君は、バンドンに行っても家が見つからず、3日ほどして、お米を抱えて、がっかりし、ジャカルタにもどってきました。数年後、バンドン駅で、弟と出会い、丁度彼の誕生日にお母さんが、お皿を洗っているところに、エディ君が現れたということです。

28年後のかつての子供達は、今、しっかりしたお父さんになっています。当時20人ぐらいいたのですが、その中で、マンスール君は、事故で片足を亡くしたり…誤って人を殺し、1年の刑務所生活がありましたが、その後、プサントレン(イスラムの寄宿学校)で、中学・高校の過程を勉強し、21歳で卒業し、大学に入り、出たり入ったりしながら10年かかって2018年5月に大学法学部をめでたく卒業しました。 いつか、弁護士になって、困っている人々を助けたいという希望をもっています。

上記の手芸のバティックの材料を始め、フロレス島の飲み水…東チモールとフロレス島のトラックや車、子供達への本、アチェ、ジョグジャ、西ジャワの地震や津波の時の衣類、文房具、移動図書のミニバス、学校建設の費用(シメル島、フロレス島、東チモール)、無料診療の薬代、多くのご援助を日本の方々からいただきとても多くの方々に喜んでいただきました。みなさまにこの多くの方々の感謝の気持ちと、インドネシア聖心会一同からの心からの感謝の気持ちをこの機会にお伝えさせていただきます。本当にありがとうございました。

  • 25年前のストリートチルドレン マンスール君とエディ君
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  • 25年後のストリートチルドレン マンスール君とエディ君 大学を卒業しました
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  • 東ティモールの小学校にスケッチブックや文房具を配っています
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  • ポンドック・ボチャのダンスでごあいさつ
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受賞者とみなさまをつなぐプラットフォームプロジェクト「ひとしずく」