酒井 和枝
マレーシアのボルネオ島ではパームヤシの伐採で森林破壊が深刻になり、1995年に日本マレーシア協会がその再生に取り組む植林活動を始めた。その際、1976年からボルネオ島に在住し、現地に精通していた酒井和枝さんに白羽の矢が立ち、コーディネーターとして活動に携わることになった。植林は地元に生息する木の種を「収集し」「発芽させ」「苗木に育成しサラワク州政府指定の森林保護区等に植える」までの作業が必要で、それらは酒井さんの管理運営の下、先住民の人々が担っている。彼らに森林再生への理解と協力を仰ぐため、酒井さんが幾度となく現地に足を運び信頼関係を構築したことで成り立っている。先住民にとってこの作業は収入源となっており居住地を離れずに家族と生活することを可能にした。2024年からは日本財団ボランティアセンターの学生が行う「オランウータンの森再生プロジェクト」を行っているが、酒井さんのコーディネートにより、日本の大学生が先住民とバディーとなって、植林活動を進めている。酒井さんらが長きにわたり先住民たちと植林してきたエリアは、サラワク州政府から評価され、現在国立公園に指定されるまでになった。また酒井さんは、日本からボルネオ島に渡った「からゆきさん」と呼ばれた女性たちや、戦死した日本人が埋葬されているクチン市の日本人墓地を長年にわたり管理してきた。現地では「サラワクの母」として慕われ、日本とマレーシアの架け橋として活躍している。
この度は大変名誉ある社会貢献者表彰をいただき心より深く感謝いたしております。
本年は私がボルネオ島・マレーシア・サラワク州で熱帯雨林再生の植林活動を初めてから30年となる節目の年です。このような形でボルネオ島での活動に光を当てて下さったことは大変嬉しく感慨深く思いを馳せています。
また、当日多くの社会貢献者の皆様の素晴らしい活動を知ることができました。今後の活動に多方面から沢山の情報を得ることができたことも、私にとって宝のような機会となり、感謝しております。
私は1976年に日本から渡航し、今年で在東マレーシア・サラワク州(ボルネオ島)49年となり、来年で半世紀の50年目となります。
私の熱帯雨林再生のための植林活動は100%ボルネオ島マレーシア・サラワク州内で行っています。活動地は主に1960年代から始まった日本への木材の輸出で失われた熱帯雨林の原木伐採地跡です。ボルネオ島の在来種の植林活動や森林火災で失われた森の回復をしてきました。
植林活動とは、一言で”木を植える”ことと思っていましたが、実際に始まると言葉では語りつくせないことばかりでした。
先住民族との反対運動、種子の収集、植林活動を一緒に行ってもらえるように先住民の人たちに植林活動への理解対話に奔走した日々、日本から植林活動にお越しになる方々のために、現場の準備や政府関係への認可申請、植林作業の準備を行い、遂行するのに必要な説明会を多言語で行ったことなどを思い起こすと、この地で、この時間を共に費やしたサラワク州の多民族の人たちとの”絆”が力になっている事に気が付きました。
植林活動で初めて植えたマッチ棒サイズの苗木が、今では両手で抱える事ができない程に育っています。木々の成長を見守ることができる幸せも感じております。森林保護区に多くの人が携わって植林した場所2か所が国立公園として永久的に森として承認されたのも大きな一歩でした。
今後は、これまでの植林活動で育んだ地域住民との”絆”を土台とし、地元の人々が自発的に森の大切さを次世代へ語り、森と共存できるように、先住民たちや日本から訪れる学生ボランティアと共に私のライフワークとして深く関わっていきます。将来、植林した国立公園がオランウータンの森になって行くという夢に向かって、この度の受賞で元気をいただいたと思っております。






















