一般社団法人 OPEN JAPAN

重機担当 萬代 好伸
緊急災害支援活動を行うOPEN JAPANは、1995年、阪神淡路大震災をきっかけに設立された民間団体「神戸元気村」に関わったメンバーを中心に石巻にできた「ボランティア支援ベース絆」が前身。2012年、一般社団法人OPEN JAPANに名称を変更。これまで37の災害現場にて緊急災害支援活動にあたる。現在、今年1月1日に起きた能登半島地震で、3日には七尾市で炊き出しを開始、輪島市、珠洲市を回り、5日から本格的に能登町で活動を開始した。日々ニーズの変化する厳しい現場で、高い専門性と技術力を生かし、6月時点では、重機を使った撤去作業を中心に、崩れた家屋、倒れたコンクリートブロック、危険物の除去、倒壊した家屋からの貴重品の取り出し、避難所への炊き出し、失われたコミュニティを取り戻すサロン活動、子ども支援、役場のサポート等まで多岐に行っている。さらに能登町の被災者支援アドバイザーとして、役場の相談事業も請け負う。ボランティアを適材適所に配置し、作業内容の進捗状況を管理できるプロフェッショナルなコーディネーターがいるのも特徴的。長年作り上げた人脈で多くのボランティアが関わり、徹底した現場主義で被災地に寄り添う。
【これまでの活動について】
私たちOPEN JAPANの創設者である山田和尚(バウ)は環境活動、平和活動を通して「日本をひらく」活動に取り組む中、阪神淡路大震災が起こりました。
震災を受けて「神戸元気村」を立ち上げ、たくさんの若者がかけつけました。山田は「ボランティア元年」という言葉を記者に語り、その言葉は日本中に広がりました。その後7年間神戸での活動が続きます。
次のエポックとなった東日本大震災ではその仲間たちが石巻に集まり、「ボランティア支援ベース絆」として活動しました。翌年には一般社団法人OPEN JAPANとして名を改め石巻を本拠地として今日に至ります。
環境活動や社会活動にも取り組み、被災地に車を届ける日本カーシェアリング協会もプロジェクトの柱のひとつです。
私たちOPEN JAPAN緊急支援プロジェクトはその中でも災害支援に特化したプロジェクトで、なによりも「いのちをつなぐ」活動に取り組んでいます。
令和6年能登半島地震では経験からまず炊き出しが必要になると予想し、重機よりも鍋や寸胴、水に食材を積んで1月2日に宮城から能登へと走りました。
近年、技術系ボランティアと呼ばれ重機やチェンソー、大工活動が中心と思われがちですが、「その先の笑顔のために」を合言葉に、それらをツールとして現地で必要とされる多様な活動に取り組んでいます。
【これからの活動について】
年々広域多発化する災害に対し、現場での対応を行うとともに活動ベースを設置している宮城県丸森町において防災を学ぶキャンプ場の設立に取り組んでいます。
また各地での知見を活かし、国・行政や災害ボランティアセンターを運営する社会福祉協議会と連携した包括的な災害支援に取り組んでいます。災害を通して民間で行えることを行いつつ、関連各所へのアドボカシーを通じて官民の隔てなく、必要な人へ必要な支援が届く仕組みづくりをより一層すすめていきます。
私たちは特定のメンバーで活動しているのではなく、さまざまな場所で出会ったご縁を通して有機的なつながりを大切にしています。過去の被災地で出会った方々が次の場所へ支援にかけつけてこられます。
おたがいさま、おかげさまの気持ちで日本をつなぎ、これからやってくる大災害に対して備えていくためのハブになることを目指します。
今回、たくさんの素晴らしい方々の中に名を連ねていただきました。災害支援が社会貢献として評価いただいたことを励みにより多くの支援を届けてまいります。