受賞者紹介

第57回 社会貢献者表彰
ねぎし つねじ

根岸 恒次

(東京都)
根岸 恒次

1995年12月、初めてカンボジアを訪れた際に日本と比較にならない貧しい生活をしている人や学校に通えない子どもたちを目の当たりにして、何か自分にできることはないかと意識するようになった。2000年1月に任意団体「21世紀のカンボジアを支援する会」を仲間と設立。3年間、職業訓練活動や巡回診療活動、お米の緊急支援を現地で展開した後、2003年にNPO法人の認証を受け、本格的な活動を始める。同国の貧しい地域の子どもたちが学校へ行けるようにと、奨学金事業「クメール教育里親基金」を開始。日本で教育里親を募集し、現在約300名の子どもたちをマン・ツー・マンで支援している。併せて、現在39の小・中学校校舎と374基の井戸、45のトイレ棟を各地に寄贈。2010年には孤児のために養護施設「夢ホーム」を開設し、10年にわたる運営で30名以上の子どもたちが巣立っていった。20年を超えて同国の子どもたちに寄り添い支援活動を続けている。また2010年に、インドのコルカタで貧しい子どもたちを教育支援するNPO法人「レインボー国際協会」の理事長に就任、現在に至る。

推薦者:宮﨑 千里

このたびは、栄誉ある第57回社会貢献者表彰を受賞させていただき、誠にありがとうございました。今回は個人での受賞ですが、主な活動はカンボジアの子どもたちへの教育支援活動にあります。

私は団塊世代の戦後生まれ、戦争経験はありませんが、子どもの頃はまだまだ貧しく、つぎはぎだらけの服を着て、近所の子どもたちと日が暮れるまで遊んだものです。

三度の食事もおかずが少なく、いつもお腹を空かせていた記憶がありますが、学校給食が唯一のごちそうでした。コッペパンにクジラ肉、そして生徒には不評だった脱脂粉乳のミルク、私は大好きでお代わりして飲んだものです。

その時は知りませんでしたが、あの時の給食は、食べ物がままならない日本の子どもたちのために世界の国が食糧支援してくれたものと後から知りました。特にカンボジアは戦後賠償請求をどの国よりも早く取り下げ、お米を無償援助してくれました。

時代は流れ、日本は高度成長期を経て見事復興、いち早く先進国の仲間入りを果たしましたが、カンボジアはむしろ大戦後の方が悲惨で、ポルポト政権による圧政、その後の内戦で国はすっかり疲弊してしまいました。

そんな中、機会がありまして1995年、カンボジアを初訪問しました。内戦こそ終結していましたが子どもたちの惨状を目の当たりにし、衝撃を覚えました。地雷で手足を無くしたと思われるいたいけな子どもたちが、世界遺産アンコールワットの参道に並び、物乞いしていたのです。

見てしまった者の責任から、それがきっかけとなり私はカンボジアの子どもたちの支援活動を開始しました。その背景には、私が子どもだった頃に食糧援助してくれた、カンボジアの人々に恩返ししたい気持ちがありました。

あれから27年が経ちました。カンボジアも経済成長し、子どもたちは学校に通える態勢ができましたが、へき地に暮らす子どもたちにはまだ、経済成長の恩恵が届いていないようにも思えます。このたびの社会貢献者表彰を糧にし、老体に鞭打ちもう少し頑張ってみようかと思う昨今です。

  • クメール教育里親基金
    クメール教育里親基金
  • トイレ棟の贈呈式
    トイレ棟の贈呈式
  • 井戸の贈呈式
    井戸の贈呈式
  • 学校の竣工式.
    学校の竣工式.
  • 国内のイベントに参加
    国内のイベントに参加
  • 児童養護施設「夢ホーム」
    児童養護施設「夢ホーム」
  • インドの子どもたち
    インドの子どもたち
  • カンボジア訪問旅行
    カンボジア訪問旅行
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