受賞者紹介

第53回 社会貢献者表彰
いしかわ まこと

石川 誠

(東京都)
石川 誠

脳神経外科医として勤務していた1970年代はじめ、患者の術後に障がいが残っても何もされていないことに疑問を抱き、医療は命を助けるだけでなく、家に帰って自立した生活が出来るように回復させるまでが真の医療と考え、当時一般的ではなかった「リハビリテーション医療」に取り組み始めた。
1986年に赴任した高知県の医療法人社団近森病院で、「どんな患者も寝かせきりにしない、ベッドから起こして動かし、自立できる力を取り戻させる」と医師、看護師、各種療法士、ソーシャルワーカーなどがチームを組んで一丸となってリハビリをする体制へ内部改革を行った。退院した患者用の通所リハビリや訪問リハビリの仕組みもつくりあげ、これらの取り組みは国も認める「回復期リハビリテーション病棟」のモデルとなった。
2002年に医療法人社団輝生会を発足し、現在は「初台リハビリテーション病院」、「在宅総合ケアセンター元浅草」「在宅総合ケアセンター成城」「船橋市リハビリテーション病院」「船橋市リハビリセンター」の5拠点を運営している。
回復期リハビリテーション病棟のモデル及び在宅総合ケア体制を確立し、全国に普及させ、日本のリハビリテーション医療体制を築きあげ、地域リハビリテーション(地域包括ケア)の推進に貢献している。

推薦者:船橋市市長 松戸 徹

この度、公益財団法人社会貢献支援財団から社会貢献者表彰の栄誉を授かり誠に光栄に存じております。

受賞者は、福祉界で地道な努力を積み重ね、大変感動的な成果をもたらした方々が大多数であり、わたくしのような医療職は異色なように思えました。

小生は、1973年に医師になった当初は脳神経外科の勤務医でした。長野県の佐久総合病院に時代に、当時の院長の若月俊一先生から地域医療の神髄を教わりました。また、当時の脳神経外科は発展途上であり、手術後の後遺症(身体障害等)に対するアプローチが乏しいことに対してもするどく指摘されました。そのことをきっかけに脳神経外科からリハビリテーション科へと方向転換したのですが、当時の日本のリハビリテーション医療は全く未整備状態であり、「寝たきり老人」「寝かせきり老人」という言葉まで出現する時代でした。1978年からは虎の門病院でリハビリテーション医としての修業を積み、入院によるリハビリテーションで重要な点は、何よりも看護・介護職による自立支援のケア体制の確立であることに気づきました。その基盤の上に多職種(理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、社会福祉士、栄養士等)によるチームアプローチが充実すれば大きな改革ができると確信したのです。しかし、当時の医学会、医療界は極めて保守的な体質をもち、いわゆる縦割り行政といわれる体制に似ており、チームアプローチの推進は簡単ではありませんでした。

そこで1986年に虎の門病院から高知市の近森病院に拠点を移すことにしました。いろいろ苦労はありましたが、なんとか看護・介護のケア体制が充実し、多職種によるチームアプローチも確立し、リハビリテーション専門病院として近森リハビリテーション病院の活動も軌道に乗りました。さらに退院後の支援としてリハビリテーションを核とした在宅総合ケア支援体制も整備することができ、急性期~回復期~生活期のリハビリテーション医療体制が具現化することができたのです。この体制は厚労省の気に入るところとなり、2000年の介護保険制度施行と同時に医療保険で回復期リハビリテーション病棟の制度が創設されることになりました。

2002年からは東京に戻り、初台リハビリテーション病院、在宅総合ケアセンター元浅草、在宅総合ケアセンター成城、船橋市立リハビリテーション病院、船橋市リハビリセンターを立ち上げ、回復期と生活期のリハビリテーション医療サービスを展開しております。

現在は地域包括ケアの時代となっておりますが、この地域社会に対する活動が大きなテーマとなっております。

  • 病棟の日常生活における移乗・移動動作訓練
    病棟の日常生活における移乗・移動動作訓練
  • 食事中に嚥下・摂食・食事動作の訓練
    食事中に嚥下・摂食・食事動作の訓練
  • 排泄は24時間必ずトイレで
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  • 医療法人輝生会の研修
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受賞者とみなさまをつなぐプラットフォームプロジェクト「ひとしずく」