受賞者

平成26年度

社会貢献の功績

ふじた ゆうき

藤田 裕喜

(宮城県)
藤田 裕喜
ふじた たかこ

藤田 孝子

(宮城県)
藤田 孝子

宮城県気仙沼市で新聞販売所を営んでおり、開店10年を機に自ら編集したコミュニティ紙「ふれあい交差点」を創刊し毎月1回新聞に折り込み地域読者に配布している。東日本大震災発生1週間後には連日「ふれあい交差点災害特別号」を発行して安否情報をはじめ住民が最も必要としている情報を掲載し避難所を含め6,500~7,000部を配布し、復旧・復興事業の重要な情報源となった。平成26年3月22日現在、330号を発行している。

推薦者:公益社団法人 隊友会 宮城県隊友会

ミニコミ紙「ふれあい交差点」災害特別号

この度は栄誉ある賞をいただき、編集室一同心から感謝申し上げます。また、表彰式には瑶子女王殿下のご臨席並びにお言葉を賜り大変感激いたしました。私たちは、この度の受賞を、震災に関わることであるが故に心から喜ばしいものではないことを踏まえた上で状況と活動内容を書きたいと思います。

東日本大震災は人知をはるかに超えたものでしたが、震災後の被災者の様子は世界が認めるように大きな混乱もなく冷静に避難所の開設や救護活動が行われ、これは日本人が自然と共に生きてきたことの証しと思われました。震災の翌日には夜通し走って駆け付けた東京消防庁をはじめ、各地から消防車などが応援に入り救護活動が行われました。さらに自衛隊も翌日には被災地に入り組織的な活動を開始し、被災後の市民に元気とやる気を起こさせてくれました。

発行のきっかけになった避難所の情報の山(震災直後)
発行のきっかけになった避難所の情報の山(震災直後)

被災直後私たちは、地区内の避難所を回り新聞販売店として何ができるかを考えました。避難所では多くの人達が安否情報等いま最も必要な情報を求めていましたが、着の身着のままで逃げ、交通手段もないためじっと待つよりほかありませんでした。テレビ・ラジオ、新聞も含め身近な情報がなかなか得られない状況の中、携帯電話もなかったので大変でした。しかし、ほどなく各避難所や公的なところには、紙に書かれたいろいろな情報が数多く貼りだされるようになりました。大事なことが沢山ありましたが、自宅で待機している市民は交通手段もないためどこに行けば何があるか、知る由もありませんでした。

新聞は店になかなか届かず、ようやく震災後5日目(16日)に店着しました。その日は避難所を中心に配達、次の日からガソリンを確保できないときは個別配達が出来ない旨を断りつつ、被災しないお客さんを安否確認しながら届けました。避難所には当初は皆さんで回し読みするぐらいしか届けられませんでしたが、被災者の方々は早朝の暗い中皆さん整然と並んで待っておられ、胸を熱くしました。

復活した戸別配達網を生かして市民に情報を共有して頂こうと、私たちは直ちに「ふれあい交差点災害特別号」(B4裏表使用)の発行を決断し、「ガンバロウ気仙沼!負けないぞ気仙沼!」を合言葉に、家族総動員で手分けしながら、取材と手づくりの編集そして毎日6千部を超す紙とインクの確保に奔走しました。第1号(18日付)は手書き、第2号からは編集中に電気が通じたのでパソコンに変わりました。無我夢中で100号までは連日発行、その後状況の変化に伴い内容と発行間隔を変えながら、平成26年12月20日現在370号に至っております。復旧復興はまだまだこれからですが、今後も人々の元気やまちづくりに関わる市民目線の情報を発信していきたいと考えています。

編集室 藤田裕喜・孝子

  • 「交差点」編集会議 100号まで連日発刊
    「交差点」編集会議 100号まで連日発刊
  • ガレキ撤去後の消毒作業等の現地取材
    ガレキ撤去後の消毒作業等の現地取材
  • 被災後再開を決意した業者を取材
    被災後再開を決意した業者を取材
  • 交差点で自衛隊の帰路を数百名の市民が感謝の気持ちで見送った
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  • 復興と希望のワカメを自衛隊に届ける橋渡し
    復興と希望のワカメを自衛隊に届ける橋渡し