受賞者紹介

平成24年度

東日本大震災における貢献者表彰

 かじわら かつお

梶原 勝雄

(享年 69 歳:宮城県石巻市)
梶原 勝雄

石巻市で、浸水した自宅の2階に妻といたところ、家の2階部分ごと流され、助けを求め屋根に上がり危険な状況にいた母子3人が現れた。浮き輪などを投げ救助を試みるが失敗。ついに水に飛び込み泳ぎ、母親を激励して子どもを抱いたまま電柱まで泳いでくるようにと叫んだ。母親と子どものひとりを先に自宅へ這い上がらせ、もう一人の子どもを抱えて家の淵につかまるが、そのまま水の中で動けなくなった。子どもは母親が引きずりあげ、梶原さんは妻によって引き揚げられたが、力尽きて亡くなられた。

推薦者:高橋 茜
梶原さん宅の2階の窓から

3月11日、私が石巻市の海岸寄りで住んでいた家の2階部分が、津波で200m近く陸地側の梶原さん宅の前に流れつきました。私と子供2人(当時8才と4才)は、2階の部屋の2段ベッドの上にいました。流れが落ち着いて、屋根に登れそうだったので、3人で屋根に必死で登り、「助けて!」と助けを求めました。周りは薄暗く、静かで屋根の上から見た風景は所々の家と工場、回りは海となっていました。助けを求め続けたら向いの家の2階の窓が開き、そこにおられたのが梶原さんご夫妻で、梶原さんは逃げ遅れたのか2階におられましたが、2階部分はまったく水につかっておらず、2人とも無事でした。

2人に助けを求めましたが、梶原さんの家と私がいた屋根は5〜6メートル程の距離があり、2階からベランダ伝いに止めに出て、色々と浮輪になるものをなげてくれたり、ためしてみましたがダメで、その間にも寒さと恐怖で子供も屋根からすべり落ちそうになり…。そうこうしているうちに、梶原さんの家と私達がいた屋根の中間の2本の電信柱が立っていて、勝雄さんがそこまで出て来られました。そこで私達は水にとびこみ、沈みながらも勝雄さんの手をとって電信柱にたどりつき、その後勝雄さんに「先に行け」と言われ、下の子を残して私は家の横の勝手口から、家の中にはい上がりました。

勝雄さんは電柱まで泳いで
救助に向かった

すると「勝雄さんが大変だから早く来て!」と叫ぶ奥さんの声で我にかえり、下の子を抱き抱えた状態の勝雄さんが水の中で家のふちにつかまって動けずにいるのをみて、子供を私がつかみ上げました。勝雄さんは自力で入口から家に上がるのは、無理だったので、奥さんが引きずるような状態で上り口に引っぱりあげました。しかしその時には、勝雄さんは力つきて、動けず、あおむけの状態で横になるだけで私は何もできず立ちつくすだけでした。奥さんは「死んじゃだめだ!」と泣いていました。すごく長い時間に感じましたが、実際には数分長くても10分くらいだったのかもしれませんが。寒さと恐怖、色々な事が起りすぎて記憶も混乱していますが、だいたいは伝えることができたでしょうか。

あの時、本当に見ず知らずの私達親子3人を助けて頂いた梶原さんご夫婦に感謝しています。

(高橋茜様の推薦書より)

 

主人は、温厚で優しい人。仕事から、私が庭いじりをしている所に帰って来て、「何してるの?」と掛けられる声が、今も耳に残っています。

主人は自らを犠牲にして、助けた3人の命。どうか人生を大事に生きて欲しいと思っています。

(梶原勝雄 令夫人 貞子様 談)

 

  • 被災後の梶原さん自宅前