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受賞者紹介

平成24年度

東日本大震災における貢献者表彰

みなみさんりくほてるかんよう

南三陸ホテル観洋

(宮城県本吉郡南三陸町)

壊滅的被害をうけた南三陸で、館内にいた宿泊客と避難者350名を高台の駐車場に誘導し難を逃れた。女将は家族の安否確認より、宿泊客、従業員、地域の避難者の為の炊き出し等を優先して実施した。旅館も被害を受けたが、難を逃れた部屋にその日から町の避難者や、従業員の家族も含め、6か月間に亘り600名を受け入れた。その後も応援部隊やボランティアの受け入れを行った。旅行会社が実施する南三陸津波被害体験メニュー(学びの旅)の中心的役割を担い、学生の受け入れや体験講演などを通じて、被災地の声を届ける活動を行っている。また日本旅館国際女将会を通じて、今回の経験を全国に届ける講演も行っている。

公益財団法人 社会貢献支援財団
南三陸ホテル観洋 女将 阿部憲子
女将 阿部憲子

震災時、太平洋が一望出来るロビーで水位がみるみる上昇し土煙を上げながら町の中心部を津波が飲み込んでいくのを目の当たりにしました。

ただちにお客様の避難誘導をすすめ、直後から住民の方々が当館を目指して次々と着のみ着のままで避難してまいりました。

直ぐに電気も水も止まり町は壊滅的な被害となり、当館も橋が流され瓦礫で道が寸断され完全に孤立してしまいました。

若い女性達は泣きくずれ人々が不安と恐怖におののく中、人々の命を守らないと、人々を力づけないと思い奮い立ちました。スタッフには「心を強く持って。ライフラインが止まりこの施設は孤立してしまいましたから覚悟してほしい。お客様、住民の方々が優先です。おにぎりが1個しかなければ半分ずつにして配りますからあわてないでほしい。譲り合いの精神で頑張りましょう。」と話しました。

更に食べ物について当日は、お客様と住民の方々我々を合わせて350名程でしたが、これから先、近隣の方々ももっと避難してくることも予想されましたので最悪の状態が最低1週間は続くと考えて調理責任者に今ある食材で1週間分の献立をたてる様指示しました。

従業員も大津波に遭い自分の家族の安否も分からない中、お客様や住民の方々を守るために献身的に働いてくれました。又一方で情報が入ってこないのも深刻でした。携帯電話、固定電話もすぐに繋がらなくなりましたし、唯一の情報源であるラジオについても電池が切れない様、時間を限定して聞くしかありませんでした。

更にお客様の中には持病をお持ちの方も多くあり常用している薬がなかったり等、苦悩の日々に従業員一同結集して対応し3月17日にはお客様全員を無事にお送りすることが出来ました。

駅も病院もスーパーも流されたその様な状況下、人口流出が深刻に進みなんとか人口流出に歯止めをかけたい一心で避難所として住民600名の方を受け入れました。その時には学生のいる家庭、経営者の方を中心に受け入れを申し出ました。

何故なら学生は将来の復興の担い手ですし、経営者が倒壊した会社、工場を再開しないと人々がまた職を求めて町から流出しますし、商店主が一日も早く店舗を再開しないと生活の利便性が戻らないと考えました。住民の方々を受入れ、母親達からはすぐに子供の教育が心配と言われ、館内に寺子屋、そろばん教室、英会話のレッスンをボランティアと連携し現在も継続しております。

避難所の役目を終えた翌日より仮設住宅へ無料巡回バスを運行し、ご高齢者には無料入浴日をお知らせしたり、館内でコンサートや映画等イベントを継続し住民の方々の交流が広げる様実施しております。

避難所としての期間は特に水が4ヶ月なかったというのは深刻な問題でした。

公共の避難所に比べて物資や給水が間々ならず不自由を強いられましたが、給水車を頼み行政を介さず海水を真水に換える機械等も支援していただき急場をしのぐことが出来ました。

その間4月23日には紙皿と紙コップを使って食事処を再開させ雇用の場の提供等、明るい話題を常につくる様心がけました。

震災直後から地元の取引業者の廃業がつづき今後地元資本がどれだけ残れるか心配です。

人口流出の進んだ被災地では交流人口を増やしていくことで地元の一次、二次、三次産業の方々に再び立ち上がるための勇気や希望を与えることが出来ます。

地元の人々に活力を与えるためにも、来て見て感じてこの震災から学ぶことがたくさんあると思います。防災意識、減災意識を高める為にもこの震災の体験を決して風化させることなく後世に語り継ぎ今後に生かされていくことを切に望みます。