受賞者紹介

第56回 社会貢献者表彰
ぺしゃわーるかい

ペシャワール会

(福岡県)
ペシャワール会 会長 村上 優
会長 村上 優

1983年9月、中村哲医師のパキスタンでの医療活動を支援する目的で結成された国際NGO。 中村医師は、1984年にペシャワールでハンセン病診療を開始し、1986年には隣国アフガニスタンからの難民の診療も始めた。両国の無医村での診療を目的に現地の人材育成に力を入れ、多い時で11カ所の診療所を開設。2000年、アフガニスタンで干ばつが深刻化し、清潔な飲み水の確保が急務となり東部アフガニスタンで井戸掘削を開始。また、灌概用井戸の掘削やカレーズ(地下水路)の再生で谷周辺の農地を復旧させたが、干ばつは更に進行し田畑の沙漠化は拡大した。総合的な農村復興計画として2002年「緑の大地計画」を立案し、マルワリード用水路の建設を皮切りに9ヵ所の堰・用水路を建設した結果、16,500ha.の耕地の安定灌概、65万人の農民の生活を可能にした。2017年からは、Peace Medical Servicesが確立した農地への取水方式の普及活動に取り組んだ。また、用水路の端に230ha.の試験農場を開設し、小麦、米、玉蜀黍、サトウキビ、柑橘類など元来栽培されていた作物を復活させた。畜産や養蜂も開始し自給自足へ向け取り組んでいる。2019年12月、中村医師は亡くなったが、彼の意志は引継がれ全ての現地活動が、2万2千人の支援により継続されている。

推薦者:(公財)笹川保健財団 会長 喜多悦子

中村哲医師は1984年よりパキスタン北西辺境州ペシャワールでの医療事業(ハンセン病の根絶計画)に始まり、東部アフガニスタン山岳無医地区に最大6か所の診療所を建設、ペシャワールにはPMS基地病院を運営してきました。2000年からは地球温暖化にともなう大旱魃を前に井戸(1600本)、2003年よりは「緑の大地計画」としてマルワリ―ド用水路、2010年よりクナール川水域に10か所の取水堰を作りPMS方式灌漑事業の技術的な確立をしました。2018年より、この灌漑技術を広げアフガニスタンに適した灌漑事業によってアフガニスタンの農業復興を目指していました。その活動期間でソ連侵攻(1979年)、アフガン内戦(1989年)、タリバン政権の樹立(1996年)、欧米軍の侵攻と新政府の樹立(2001年)、そして今回のタリバンの復活と、40年を通して戦争がありました。中村先生は非戦を貫き、真の平和と相互扶助が人類共通の文化遺産として、誰とでも協力して他所の逃れようのない人々のために力を尽くしてきました。その精神は中村先生が亡くなった後も引き継がれています。

現在のアフガニスタンの最大課題は2000年を超える大旱魃です。またタリバン政権復活後の国際社会は米国によりアフガニスタン中央銀行資産の凍結、世界銀行のアフガン復興資金の凍結、IMFのアフガニスタン供与金凍結を通して経済封鎖をして、干ばつによる飢餓のうえに生活が展開できず、餓死の危機を加速させました。WFPの発表では2280万人が飢餓、870万人が餓死の危機にあり人道危機の最中にあります。PMSとそれを支えるペシャワール会はタリバンが復活後も医療、農業、灌漑用水路事業と順次再開して現在に至ります。現地活動に最も支障を与えたのが経済封鎖です。日本から通常の方法ではアフガニスタン・インターナショナル・バンクAIBには送金ができません。またすでに銀行に預けているPMSの資金も下ろすことができません。給与や薬品代や機器資材代、燃料費などの事業を進める資金が引き出せなくなり、医療や用水路事業運営に支障が出てきました。PMSとペシャワール会は米や麦、柑橘類やミルクなどの農業生産物の販売から事業費を捻出し、様々なルートでの資金注入を図り、困難を超えるよう奮闘しています。すでに餓死や冬の寒さからの凍死が報じられる中、これまでも中村先生がされていたように命をつなぐ活動を進めます。

困難な時期に社会貢献者表彰を賜り感謝を申し上げます。ありがとうございます。

会長 村上 優

  • 事務局にて
    事務局にて
  • 中村哲医師
    中村哲医師
  • Q3貯水池 2009年6月
    Q3貯水池 2009年6月
  • 植樹8年後 2017年8月
    植樹8年後 2017年8月
  • バルカシコート堰建設 2021年11月23日
    バルカシコート堰建設 2021年11月23日
「ひとしずく」社会課題に立ち向かう方々を応援するサイト