受賞者紹介

平成24年度

東日本大震災における貢献者表彰

せと わたる

瀬戸 亘

(39歳:宮城県仙台市宮城野区)
瀬戸 亘

仙台市宮城野区で、震災翌日の3月12日午前7時30分頃、家屋の一階部分が破壊され、二階で助けを求めていた女性を瓦礫の中にハシゴをかけ救助した。また13日から地域の復興復旧に向け、重機を借り31日まで瓦礫の撤去や自衛隊員と一緒に行動して道路の確保や、家屋への通路確保など不眠普及で行った他、遺体の確認作業にも加わった。

推薦者:新浜町内会 会長 平山 新悦/仙台市宮城野区

3月11日作業中に強度の震度に襲われ、これはただ事ではないと直感し地域消防団員の一員として使命感に燃えて自宅に戻り、バイクを出して地域住民への避難を仲間の団員と一緒に懸命なる呼びかけを行いましたが、住民の多くは、ここには津波が来ることはないとガンとして動こうとしない方々が多数見受けられました。その中に我が両親も入っていました。

(平成23年3月13日撮影)

団員と最後の打ち合わせ中、海岸の松林の上を津波が押し寄せて来る光景を見て、団員は個々に避難行動を取りましたが、私は両親が家に居る事を察知しバイクを飛ばしながら二階へ上がることを指示し、運良く間一髪で一命を取りとめることが出来ました。

今まで宮城県沖地震、チリ津波と被害が無く安心感があった様に思われ、また関係自治体も津波に対する常日頃の訓練も全く無く、連絡網の不備もあり津波に対する認識不足があったようです。

余震の続く中、妻と子ども三人の安否を心配しながら両親と三人で我が家の二階で海面の中全壊した二階で一夜を過ごし、翌朝当たり一面を見渡すと、瓦礫の山々で見るも無残な光景でした。これが本当の津波の爪痕なのかと言葉にならなかったのが現実でした。

ふと気がつくと救助を求めている方々が多数おりました。瓦礫の中から救助を求めている方、二階から助けを求めている方など様々でありましたが、私は危険を顧みず救助活動の先頭に立って行いました。その中に足の不自由な方もおりましたが、無事故救出作業を行い家族の元へ送りました。その時の感動は私の人生にとりまして、脳裏に鮮明に残ることでしょう。本当に良かったと自分を褒めております。

(平成23年3月13日撮影)

又、基幹道路が瓦礫の山々であり、これらを撤去しなければ地域復興は不可能と感じ、親類より重機(バックホー)を借り、自衛隊員と連携を取りながら懸命の救出活動を行いました。なにせ、世帯数135件という小地域でありますが、60数名という方々が尊い命を落としました。その中に避難救助活動を行った仲間の団員も含まれております。残された妻や幼い二人の子どもの事を思うと断腸の思いで一杯でありました。

私たち生かされた者として何をすべきと考える時、感謝の気持ちを持ち、先祖代々脈々と続いたふる里を一日も早く復旧復興することが亡くなられた方々に対する最善の供養と信じ、我が家も全壊いたしましたが、父親共々全力で心からの作業を行いました。その中で一番困ったのは重機に入れる燃料の不足であり確保に困難を極めたことです。その後、地域の方々より感謝の声が届き、自分ながら反応の大きさびっくりしております。

(平成23年3月13日撮影)

現在、当地区は危険区域対象外となり、我が家は安心してリフォームを行い、今は快適な生活を送っております。仮設住宅、借り上げ住宅へ住んでおられる方々に地域復興に燃えている方々と移転希望者との温度差があまりにも開きがある様に思われます。

移転して生活するのもいいが、多額の金額が要するということを冷静に考えるべきではないだろうか。

当地区では住民が安心安全の街づくりのために、海岸堤防築造TP7.2mそして内陸部へ防潮堤TP6.2mと二重の防御と避難道路の整備、避難建物の建設など着々と国、県、市が一体となって取り組んでおります。近い将来は、防潮堤に桜の苗木を植え、日本各国から若者が集う行事など企画運営を皆で取り組んでいき、そして住んでみたいと思う様な地域作りに私どもも協力していきたいと思っています。

受賞に対して大変感謝しております。私どもよりもっともっと貢献している方々が多数いると思いますが、この様に素晴らしい社会貢献支援財団があるということは全然知りませんでした。

頂いた金額は有効活用させて頂きます。

本当にありがとうございました。

  • 水道道路を六丁の目方向に
    向かって