受賞者紹介

平成24年度社会貢献者表彰「東日本大震災に貢献者表彰」受賞者紹介

名取市消防閖上分団
宮城県名取市閖上の消防分団で、当日は113人中50人程が出動し、震災発生後直ちに日頃の打ち合わせ通り地区を9に区分したグループで動き、住民避難の呼び掛けや水門閉鎖を行った。13人の団員が津波の犠牲となり、消防車8台中5台が流出したが、そのほとんどが地区を巡回中に被災した。
乳井 昭道
宮古市消防団
宮古市の消防団で震災発生時、大津波が迫る中、住民の避難誘導及び水門の閉鎖をした。活動中団員16名のいのちが奪われた。被災地区管轄外の分団も出動し、住民の救助及び行方不明者の捜索、消火活動、瓦礫の撤去など延べ出動人員13,332名、日数は82日間の長期にわたり活動した。また、被災地区内及び避難所や仮設住宅における警戒活動も昼夜を問わず実施した。
宮古市消防対策課
吉田 浩文
仙台市で被災し自宅のある名取市閖上に戻る途中、閖上大橋で大型トレーラーが起こした荷崩れ事故に遭遇し混乱の中警察に通報した。その後、家族と閖上小学校で再会したが、そこに津波が襲来。学校の裏に人や車が流されてきたことから、校舎に備え付けてあった消防ホースを身体に結び付け、水に流されようとしている女性3名と、木に掴まっている男性1名を救助した。(女性のうち一人はその晩に死亡)。また3月14日より、ボランティアでダイバー隊を結成し、付近の河川などで遺体や遺留品の捜索を4月25日まで不休で行った。
名取ハマボウフウの会
特定非営利活動法人サンクチュアリエヌピーオー 馬塚 丈司
大平 翔太
3月11日、名取市の自宅2階で避難準備中に津波に巻き込まれ、自宅ごと漂流した。夕方になって漂着した家の近くまで火が迫って来たため、周りにいた人達に声を駆け、水に飛び込み付近の老人福祉施設まで避難した。その際他の人も誘導した。3日後に自衛隊が救助に来るまで施設へ避難してきた人たちのケアにあたった。救助後は名取市役所災害対策本部付ボランティアとして被災者の支援活動を行い、自転車で県南エリアの病院を回り、被災者を把握する調査を行なったほか、同市の臨時職員に採用される前日まで災害対策本部ボランティアとして物資配給支援などを行った。
社会福祉法人 みずほ
岩崎 順一、安住 紀人、北田 駿、横山 優士、遠藤 新悟
柔道整復師の研修のために訪れていた陸前高田市で震災に遭遇し、八坂神社の本丸公園に避難した全身ずぶ濡れになった避難してきた人たちのために火を焚いて暖を取らせたことから始まり、避難所探しをして、公園に避難してきた人を2ヵ所の避難所に誘導した。その際、避難所まで1km近い山道を、高齢者を背負ったり、荷物を代わりに運ぶなどして移動を手伝った。また、神社に運び込まれていた重い布団を何度も往復して避難所へ運びこんだり、燃え上がっていた火に硬い地面を掘って土をかけて鎮火して、火災の発生を防ぐなどした。
岩崎 健二
瀬戸 裕保
仙台市宮城野区で、自宅の二階に避難していたところ、長女が助けを求める女性の声を聞いた。二階の北側の窓から見ると、作業小屋の屋根上あたりに女性が浮かんでおり、ベランダの手すりに避難ロープを結んで女性の所へ降りていった。女性をロープにつかまらせ、下から押し上げ、上から長女が女性を引っ張り上げ救助した。
新浜町内会 会長 平山 新悦/仙台市宮城野区
櫻井 京子、尾形 拓海
京子さんは東松島市の自宅で地震に遭い、知人の車で避難所である小学校の体育館へ避難した。そこで、同じく体育館に避難してきた孫と合流。避難所の体育館に一気に水が流れ込んできて、誰もが茫然とする中、水につかっていた子どもや高齢の女性、耳の聞こえない男性を、体育館の2階で孫と二人で次々と救助した。
櫻井 京子
社会福祉法人 大槌福祉会 大槌保育園
大槌町で、三陸自動車道沿いにある大槌保育園は、震災当日、大槌湾からの津波に正面から襲われた。八木澤弓美子園長は、園児113人(0歳児11人)を散歩用の台車に乗せ、園で設定していた避難所へと向かった。コンビニエンスストアに迎えに来ていた親御さんに園児約70人を引き渡し、残りの園児と共に後方の山へ避難した。津波が迫ると保育士とスーパーの従業員の協力のもと、園児をおぶったり、抱えて山の傾斜を登り、全員命拾いをした。子どもたちと体を温めあい、消防署と救急車の救援より避難所へと移った。1日におにぎり一つ、チョコレート1つという中、園児と避難所で3日間を過ごし、園児を親元に帰した。しかし、親御さんに渡した園児約70名の内、9人が死亡または行方不明になった。
公益財団法人 社会貢献支援財団
紹介動画
瀬戸 亘
仙台市宮城野区で、震災翌日の3月12日午前7時30分頃、家屋の一階部分が破壊され、二階で助けを求めていた女性を瓦礫の中にハシゴをかけ救助した。また13日から地域の復興復旧に向け、重機を借り31日まで瓦礫の撤去や自衛隊員と一緒に行動して道路の確保や、家屋への通路確保など不眠普及で行った他、遺体の確認作業にも加わった。
新浜町内会 会長 平山 新悦/仙台市宮城野区
永井 舞
仙台市宮城野区で3月11日15時半頃、自宅の二階から、流木につかまって流れてきた男性を、浮いていた車の上に移るよう促し、毛布などを投げ渡した。その後救助が来る様子もなく、男性が弱ってきたことから、瓦礫が浮く、身長よりも深い水の中を泳いで助けに向かい、自宅の二階へ連れて戻り、着替えさせ毛布に包み暖を取らせ体をさすって介抱した。
新浜町内会 会長 平山 新悦/仙台市宮城野区
磯谷 與藏、袖野 勇、故 志田 壽昭
大船渡市赤崎町の県道9号線で、車ごと津波に巻き込まれた男性を、付近に避難していた、漁師と漁協の組合員の3名がロープを投げ込み、協力して男性を車の窓から引き揚げて救助した。
大船渡市漁業協同組合
渥美 広実
石巻市で、船のドック中に船底で地震に遭った。津波の危険にさらされながら、家族の安否を確認するため移動する中、多くの人が避難している場所にたどり着いたが、そこで二人の子どもが津波に流され木にしがみ付いているのを見て、瓦礫や車が流れてくる中を泳いで救助した。その後、木に大人数人が捕まって救助を求めていたため、ロープをくわえてそこまで泳ぎつき、船員としてロープの結び方を熟知していたことから、頑丈に縛りつけ、それを伝って救助した。その後も古いボートを使い20名近くの人を救助し、ようやく避難所にいた妻と再会するが、帰途屋根の上で助けを求める女児を救助し、翌日父親に引き渡した。
阿部 時子
太田 幸男
勤務先の名取市閖上の名取市サイクルスポーツセンターで被災、市の災害対策本部に赴き同対策本部のボランティアとして活動した。大震災当夜、自衛隊らとともに閖上小学校、中学校および孤立被災者の救助に向かい、翌日中に1,700名の救出を行った。13日には施設に避難していた116名を救助する手配を行った。その後5月31日まで名取市役所に宿泊し、24時間体制で災害対策に当たり、6月4日に終了するまでの間、被災者支援を行った。現在もボランティアで被災者支援を続けている。
社会福祉法人 みずほ
木村 光善
震災発生後、直ぐに埼玉県から車で名取に12時間かけて到着し、沿岸地区に救援に入った。腰まである海水と瓦礫の中に建っていた一軒家で、びしょ濡れの布団で震えている老女を発見し、救出した。その後も夏ごろまで仕事の休みに毎週のようにボランティア活動を行った。物資支援として数回にわたり、自費で近所の八百屋の野菜を丸ごと買占め、他に集めた物資と共に被災地に運んだ。
小林 直樹
鎌田 眞人
南三陸町の鎌田医院を開業し、地域医療に従事していたが、大震災で、同院及び自宅とも全壊、流失、全てを失ってしまったが、避難所である歌津中学校で、避難時に持ち出した若干の手持ちの薬と医療器具で震災直後から5月まで無償で被災住民の診療と心身に渡る健康相談に当たるなど、災害時医療等の確保に不眠不休で尽力した。また、3月15日からは被災を免れた接骨院を借り、町内唯一の民間診療所をいちはやく開設。巡回診療や訪問診療を行い、住民や被災者に安心感を与えた。
社団法人 気仙沼医師会 会長 大友 仁
紹介動画
鳥越 紘二
平成16年に宮城県塩釜市医師会副会長に就任以降、宮城県沖地震に備えた準備を着々と進め、大災害時医療救護検討委員会を設置。毎年地震発生時における医療救護活動の備えに関する講演会を開催。平成18年には管内自治体と「災害時の医療救護活動に関する協定書」を取り交わすなど采配を振るい、準備が整いつつあるころ大震災が発生した。無線の配置や非常時連絡網の整備、緊急通行車両の事前届、トリアージの実技講習など準備を整えた。震災発生後、医療救護活動本部長として指揮を執り、被害の大きかった塩釜地区において、多大な貢献をした。
社団法人 宮城県医師会 会長 嘉数 研二
財団法人 宮城厚生協会坂総合病院
災害拠点総合病院として日頃から訓練を積み重ねていたが、想定をはるかに超えた大震災で、病院機能の拡大を求められた。自らも被災している多くの職員が自主参集し、全国から集まった2443名(5月31日現在)の支援者と一丸となり、震災から12日間でトリアージ診療患者2484名(通常の4.1倍)、救急車搬入数397台(通常の3.7倍)、入院患者304名(通常の2倍)、避難所診察患者数4283名などに対応した。9ヶ月たった今でも、チームを組んで毎週一回は仮設住宅へ、生活支援、医療相談活動に出かけている。
社団法人 宮城県医師会 会長 嘉数 研二
社団法人 石巻市医師会
同会は地震発生後、直ちに無線網を活用し、石巻市災害対策本部と診療可能医療施設との連絡調整を図ると共に、医療救護班を編成し、二次被害の危険を顧みず避難所等を巡回する医療行為を行った。そして発災直後から5月初旬までの間、延べ435名の会員医師、看護師が家族に死傷者が出て、自宅も被災する中、昼夜を問わず医療活動に従事した。
宮城県石巻市長 亀山 紘
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