受賞者紹介

平成24年度社会貢献者表彰「東日本大震災に貢献者表彰」受賞者紹介

UT-Aid (東大-東北復興エイド)
東大生である代表者が中心となり、東大OBらが共同出資したファンドでバス代を負担。ボランティア活動を学生の負担を少なく実施できるような仕組みを作った。2011年6月以降、石巻・気仙沼に毎週30名のボランティアを派遣し、今年は総計で1,000名以上が参加。がれき撤去、ヘドロ除去、生業復興支援などを行った。また、現地のボランティア団体と協力して、東大生が被災地の学生の学習支援を行なったり、東京と東北の学生を対象としたワークショップツアーを行い、学生に出来る再生支援を話しあう「東北の食・農水産プロジェクト」や被災地学生へ添削指導を行う「赤ペン先生プロジェクト」などが生まれ、現在進行されている。現地でのボランティアが激減するなか、今後も派遣を継続する予定。
東京大学教養学部 高橋 喜博
災害復興支援コーディネーター 蓮笑
震災の発生後、宮城県多賀城市で組織された復興支援団体で、3月末頃から、多賀城市、東松島市、石巻市などで避難所運営支援、避難所ボランティアのコーディネート、サポート、行政と連携した希望物資調達プロジェクトや行政の要請によるボランティアヴィレッジの立ち上げ、仮設住宅における自治組織設立のサポートなど、被災者8,000人以上に物資支援をコーディネイト等、多岐にわたる活動を継続して行っている。
永沢 正輝
一般社団法人 みんなのとしょかん
震災一週間後に支援物資を積んで被災地に入った際、「本が欲しい」というリクエストに応え、『みんなのとしょかん』を立ち上げる。個人や企業などの協力を得て、仮設住宅やコミュニティセンターの中に仮設図書館を設立し、利用者のリクエストに応えて本を送り続けている。
株式会社 プランニングインターナショナル
ヤフー株式会社
東日本大震災の発生から現在まで、インターネットサービス提供企業として、インターネットサービスを活用した緊急支援から復興支援、あるいは募金サイトを通じての支援などを幅広く実施している。中でも、東日本大震災発生直後から緊急的な取り組みを即座に実施し、被災地の救援活動から全国的な災害関連情報の提供などを行った。
山田 泰久
阿部 久、阿部 恵美
石巻市出身の夫妻で、青森市に本社を置く鮮魚卸会社を経営している。震災後3月15日から4月の中旬まで、石巻市渡波支所、同小学校など10ヵ所の避難所をはじめ、孤立した自宅にいる知人、親類などに支援物資を送り込み、自衛隊の協力が得られる前に、青森本社から重機を投入し、道路を開いた。また、津波で漁船や自動車を失った多くの漁港からの要望に応え、40隻余りの中古船を探して斡旋するなど、故郷の復興に尽力している。久氏は中途失明者である。
川野 楠己
黒岩 和穂
高知県隊友会の会員(元自衛官)で隊友会が5月連休明けから行ったボランティア活動に参加。全国から参集した約600名の隊友会の防災ボランティア活動の中心となって、現地生活やボランティア活動上のノウハウ等の指導を行った。石巻、気仙沼、岩沼地区で約2ヶ月に亘り瓦礫撤去、泥土の排除、旅館での約3,000枚に及ぶ皿の洗浄、漁協のコンテナ撤去など広範囲に及ぶ作業を行い、隊友会が作業を終了した後も気仙沼市に残り17日間にわたりボランティアセンターの一員として活動資材の整備や貸し出し、ボランティアのオリエンテーション時の活動指導など、センターの運営を支援した。
公益社団法人 隊友会
大谷 哲範
山形市在住のミュージシャンでありカウンセラーで、震災直後から被災地支援の活動を開始し、初期は炊き出しや物資の支援、その後は復興支援活動を継続的に行っている。被災地の子どもに、全国からプレゼントを集めクリスマスプレゼントを贈るプロジェクトを行なったり、主に宮城県や山形県内の避難所でボランティアでカウンセリングを行う等様々な支援活動をおこなっている。
松島 裕
石見 喜三郎
中越地震のボランティア作業に参加した経験から、東日本大震災の被災地を見回り、4月下旬から、いわき市や石巻市などで単身で赴き瓦礫の撤去や野菜を届けるボランティアを行った後、支援の届きにくい「牡鹿半島」を中心に活動するようになった。7月中旬から立川市の市民グループの仲間などと共に「牡鹿半島を支援する会」を立ち上げ、被災者の要望を聞いて作業や物資の調達等を行い、現在も続けている。12月上旬には「被災市へのお歳暮」と称して米、餅、野菜類を220世帯に届ける活動を行った。
柴崎 治生
Hendrik Hubert Maria Goncalo Lindelauf
4年前から東京学芸大学にブラジルから留学、震災後も原発の危険性から両親から帰国を促されるが、日本に残り、岩手県大槌町の被災地に赴き、4月末まで滞在。瓦礫撤去など復興活動を続ける一方、自らを”ブラジル忍者”と称して子供達の輪に加わり皆を和ませる。再び5月から大槌町に入り復興活動に尽力。
母と学生の会時習学舎 関根 福子
松永 鎌矢
海外留学を希望し、大学を休学する予定でいたところ、東日本第震災が発生したため、予定を変更しボランティア活動を行うことに決めた。名古屋に拠点のあるNPO団体に加わり、5月下旬に宮城県七ヶ浜へ派遣され、主に被災者と接して話し相手となったり、イベント企画などのボランティアを半年間行い、現在も交流を続けている。
社会福祉法人 大分市社会福祉協議会
岩井 慶次
趣味のアマチュア無線がきっかけで平時より防災活動を行っており、2005年に恵那市防災研究会を結成し、地域防災ネット中部の会長に就任し、防災士の資格も取得していた。東日本大震災発生後、石巻市、大槌町などで家屋からの泥出し作業などのボランティア活動を行った。被災地の状況から、災害時のボランティアセンターの早期立ち上げと円滑的な運営が不可欠と考え、恵那市防災会議への参加や、講演会などで啓発活動を行なったり、防災リーダーの養成や防災士の育成を行っている。
社会福祉法人 恵那市社会福祉協議会
藤野 裕
4月1日から5月7日まで、広島県尾道市から福島県相馬市、宮城県山元町などで瓦礫や泥の撤去作業等のボランティアに参加した。また一つのボランティアセンターが担当する地域が広域な事からセンター立ち上げのサポート等にも従事。6月中旬には尾道高西中学校2年生に、被災地の状況について報告した。
社会福祉法人 尾道市社会福祉協議会
広瀬 敏通
NPO法人日本エコツーリズムセンターの理事として全国にある自然学校のネットワークを総括し、大震災直後から「RQ市民災害救援センターを組織」し、現地入りして宮城県登米市に本部を設け、7カ所に活動拠点を設置し、主に宮城県沿岸地域で支援の届きにくい地域の緊急支援活動、国内外のボランティアの受け入れや移動支援、日々変化する被災地のニーズに対応した支援活動のマネジメントを行った。結果として11月末まで主に総数37,000人のボランティアを動員し、運んだ物資は400トン、支援先は550ヵ所に及んだ。12月からは一般社団法人RQ災害教育センターを設立し、地域復興支援・再生に向けた活動に取り組んでいる。
東京農工大学 客員教授 福井 隆
東京農工大学 教授 千賀 裕太郎
折尾 仁
震災後、3月15日に東京から宮城県多賀城市、石巻市に入り物資援助を行って現地の状況を目の当たりにし、JIN'SPROJECTを立ち上げて200名以上の賛同者と共に東京で基盤を作り、宮城県の避難所などに支援物資の輸送、仮設住宅住民のためにボランティア活動やチャリティイベントの開催などを現在も継続している。プロジェクトの活動以外に瓦礫撤去、遺体捜索にも従事した。
石巻商工会議所 佐藤 洋一
中村 真菜美
大震災発生時、コスタリカに滞在していたが帰国して4月上旬に石巻に入った。現地でのボランティアコーディネートの他、他団体との連携の調整、地域の行事や催事のサポート及び、石巻市民とボランティアの交流にも尽力した。現在も石巻市で活動している。
一般社団法人 石巻災害復興支援協議会
今村 久美
高校生へキャリア学習の授業を行うNPO法人カタリバの代表で、震災直後に被災地の子どものために街頭募金を行ったが、一日一日と募金額が減っていくのを見て、時間が経つにつれ支援が先細りすると考え「東日本大震災時に0歳だった赤ちゃんが、無事にハタチを迎える日まで」をコンセプトにした期限付きの「ハタチ基金」を提唱し、他団体と協働して設立に参画した。その上で4月に宮城県に入り、現地で教育関係者や子ども、親などにヒアリングを重ね、女川町では、望まれている学習スペースを同町や教育委員会と連携してコラボ・スクール「女川向学館」を設立し、230人の小中学校に学習指導を行っている。
山内 悠太
加藤 秀視
栃木県日光市から3月末に大量の生活物資とともに南三陸町志津川地区に入り、配給では足りない被災者への支援を始めた。現地の日々変わるニーズを聞きながら月2回(毎回3日程度づつ)のペースで炊き出しや物資の支援をつづけた。時にはバスを貸し切ってストレスのたまった避難所生活者を温泉に招待して気分転換を図ることもあった。6月以降、仮設住宅が建ち始めると、センターを同町に建て、地元の人々の雇用やボランティアのマッチングをスムーズに進めるための拠点とし、8月にはプレハブを設置し仮設暮らしで勉強することが難しい子どものために無料の学習塾を提供する等、地元の人々と一丸となって復興に向け活動している。また、栃木県から震災による道路の切断で孤立してしまった南三陸町泊浜地区に支援物資を届け、3,600食もの炊き出しを同地区で初めて行った。その後も毎月2回のペースで炊き出しや物資支援を行ったほか、理美容師20名と共に被災者をマイクロバスで日帰りの温泉に招待したりなどもした。また8月からは「元気塾HAMANASU支援センター」を建て、学習塾などを無償で開き、子どもたちに開放している。
高橋 芳喜 / 南三陸町歌津泊浜 契約会長 高橋 才二郎
NPO 法人 犬猫みなしご救援隊
広島のNPO法人で、犬猫の保護活動を行っているが、震災後すぐに南相馬市に向かい、現状を目の当たりして支援の必要を確信し、バスをチャーターして餌や水を大量に積み、犬猫を捕獲して回った。長期支援を覚悟し、広島から栃木県那須市に移り住み2,500m²の土地を借り、私財を投じて保護施設を開始した。避難施設に住む被災者や遠方に住む親族からの依頼による保護の要請が増えている。現在保護施設の近隣に迷惑料を払い、ドッグランと冷暖房を備えた施設に1,133頭の犬猫を保護、育成している。あと1年は広島に戻らず活動を継続する予定。
公益財団法人 社会貢献支援財団
紹介動画
ハート to ハート
大震災発生直後から現在に至るまで、仙台市内を中心に宮城県及び周辺被災地域のに難所及び仮設住宅に於いて被災動物の救護活動を行っている。ペットに関わる情報の収集しHPによる配信、ペットの相談所の開設(一時預かりや動物遺体処理等)、ペット関連救援物資の収集、保管、配布を行った。また、仙台市被災動物救護対策本部が設置されると、その構成員として特に避難所やプレハブ仮設住宅へペットを同行した被災者を訪問し、物資の配布や悩みの相談に乗るなどの活動を行った。
仙台市動物管理センター所長 千葉 茂
仙台市健康福祉局
特定非営利活動法人 エーキューブ
大震災発生直後から現在に至るまで、仙台市内を中心に宮城県及び周辺被災地域の避難所及び仮設住宅で被災動物の救護活動を行っている。市と獣医師会と共同でペットに関わる情報の収集と発信、ボランティア希望者の対応、市動物管理センターに収容された動物のシッター、救援物資募集、収集、配布を行った。仙台市被災動物救護対策本部設置後はその構成員として避難所や仮設住宅にペットを同行した被災者を訪問し、物資の配布や悩み相談にのる活動を行った。また、市動物管理センターに収容された動物の散歩や躾、シャンプー、トリミングなどをするボランティアを募集し指導する活動や被災動物譲渡会を毎月開催し90頭の犬を新しい飼い主の元へ送り出した。
仙台市動物管理センター所長 千葉 茂
仙台市健康福祉局
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