受賞者紹介

平成24年度

東日本大震災における貢献者表彰

おぐに あきまさ

小國 詔正

(60歳:岩手県上閉伊郡大槌町)
小國 詔正

病院で被災し3日後に自宅に戻ると、高台の自宅は津波から逃れた地元住民50~60人で避難所のようになっていた。高台を登ってきた人に自宅に泊まるように妻が声をかけ、女性、子供、お年寄り50人程は自宅に、男性10人は、自宅下にある作業所で避難生活を送ることになった。仮設トイレの設置から食料の提供まで、最後の一人が、避難所に移るまで支援活動は1ヶ月に及んだ。

推薦者:公益財団法人 社会貢献支援財団

東日本大震災の当日私は、隣町の(釜石市)病院で透析を受ける為着いたところで、この世のおわりかと思われる大地震に見舞われました。

大槌湾から小國さん宅を臨む

最初に頭をよぎったのは、津波ということより家屋被害(瓦屋根)のことでした。それも私が瓦工事業を営んでいたからです。

それから大津波で大きな被害を知って、家内のことや五月に出産を控えた石巻市に住む娘一家の安否が気にかかったが、連絡の取りようがなく、透析を受けながらも悪い方にばかり考えてしまい、生きた心地がしない時を過ごしました。

その後、家に帰ってみると、家の外から外に5,60人が津波から逃れ避難してきた人達で溢れていました。自宅が、避難所として始まっていました。

お年寄りの方も多く、夜中のトイレの世話が大変ながらも皆で助け合い過ごし、いつとなく役割分担が決まり気丈に頑張り一日一日を過ごしました。

そこには、誰にも打ち明けられない胸の内に秘め頑張っている姿を見るとやるせない気持ちでいっぱいになりました。

そうこうしているところに、全国からの支援物資や心温まる励ましの言葉をいただき皆に笑顔が戻ってきました。

小國さん宅から大槌湾を臨む

時がたち、それぞれこれからの行き先が徐々に決まり一人減り、二人減り、避難所生活の終わりが見えてきたことは、この先の一歩だと思うとうれしくもその反面寂しく感じました。

一カ月で避難所生活の終わりが来ました。いろいろ考えさせられた日々。その後、皆さんからの感謝の言葉をいただき、少しは役にたったんだと感じました。被災したことにより、近所にいながら挨拶程度で暮らしてきたことが、集団生活の難しさの中から、人間の付き合いの楽しさや有り難さに気付かされました。

あの大津波からあっという間の一年だったか、まだあの時がとまったままと感じている人もいるのが現実です。仮設住宅での厳しい生活を余儀なくされている現状に私は、ただただ見ているだけで腹立たしさを覚えます。

私も事務所を津波で流され、自宅が避難所となり忙しい日々をすごすことであまり不安を感じる暇もなく、日が建つにつれ仕事をしなければと焦りと焦りを感じ始めました。

今は、建築設計事務所として、家内と二人で頑張っています。

この度の貢献者受賞の話をいただいたときは、誰でも私の立場になれば、人々に救いの手を差し伸べることが当然で、特別なことじゃないと思っています。これを機に人のために何が出来るのかを考え、復興の手助けをしたいと思います。

これからは、全国の皆様からの支えを力に、明日に向かって頑張って行きます。

  • 小國さん夫妻