受賞者紹介

平成24年度

東日本大震災における貢献者表彰

ささはら まさみ

笹原 政美

(65歳:宮城県登米市)
笹原 政美

宮城県南三陸町で診療所を開業していたが、震災により自宅とも全壊、流失した。志津川小学校に避難し(避難者約620人)、看護師や保健師らと共に日夜救護活動に当たった。また医療器具や医薬品等の調達にも奔走し、早期に医療体制の確立を図った。また、入谷地区の避難所(4ヵ所約1,000人)に巡回診療も行い、災害時医療に貢献した。

推薦者:社団法人 気仙沼医師会 会長 大友 仁

津波により診療所は、土台を残したのみで流失してしまいました。そして震災直後より避難先の小学校体育館、聴診器一つない状況で医療活動を始めることになりました。

暖房器具はなく、寒さに震えて動けなくなり寝込んでしまう高齢者も多くいたため、一週間後の卒業式のために張られていた紅白の幕を降ろしてもらい、つらそうな高齢者を包み込んで行きました。

医療器具も薬も何もなく私にあるのは医師としての肩書きだけでしたが、それでも避難所では「先生がいると安心」と言ってもらえました。

震災五日後に医療チームが応援に来てくれ、徐々に薬や医療器具が届けられるようになり、持病がありながら薬を持たずに避難した人や薬を流失してしまった人達への診療を開始しました。

一時は千人近くの人達が避難して来ていましたが、インフルエンザや感染性胃腸炎の予防のために手洗い、うがい、マスク着用の指導を徹底し、体育館内の夜間巡回も行いました。
小学校における私の寝泊りでの医療活動は、4/17まで続きましたが、医療活動の集約に伴い、4/18より南三陸町仮設診療所で診療に当たることになりました。

診療所では、小学校で診ていた患者さんとは違う広い地域から訪れる患者さんから、被災時の生々しい話を聞くと、冷静に対応できなくなることがしばしばありました。

津波は形あるものを全て奪い去り、人の心まで流失させてしまいながら、無情さと残酷な記憶だけを残していくのです。仮設診療所には、被災後に隣接の登米市に集団移住した南三陸町民も多く来院していたのですが、「南三陸町まで通えない人も多い」との声も耳にしました。患者さんが動けないなら、動ける私が動けばいいと思い、昨年十二月に登米市の仮設住宅の近くで移転再開業しました。

移住先の仮設住宅で厳しい生活を強いられている患者さんに、顔見知りの医者がいることで少しでも安堵感を持ってもらい、癒しになるならいつまでも寄り添って行こうと思っています。

今回、受賞の知らせを受け、多くの人が自分のことのように喜んでくれました。被災した人達の人間としての復興に、お役に立てるよう全力を尽くす大きな推進力となりました。