受賞者紹介

平成24年度

東日本大震災における貢献者表彰

おおだいら しょうた

大平 翔太

(20歳:宮城県仙台市太白区)
なまえ

3月11日、名取市の自宅2階で避難準備中に津波に巻き込まれ、自宅ごと漂流した。夕方になって漂着した家の近くまで火が迫って来たため、周りにいた人達に声を駆け、水に飛び込み付近の老人福祉施設まで避難した。その際他の人も誘導した。3日後に自衛隊が救助に来るまで施設へ避難してきた人たちのケアにあたった。救助後は名取市役所災害対策本部付ボランティアとして被災者の支援活動を行い、自転車で県南エリアの病院を回り、被災者を把握する調査を行なったほか、同市の臨時職員に採用される前日まで災害対策本部ボランティアとして物資配給支援などを行った。

推薦者:社会福祉法人 みずほ

このたびは、このような立派な賞をいただけることになり、大変うれしく思います。

 


火災から逃れるため
5名とともに渡った川
自宅があった場所

当時、近所の避難誘導の最中に津波が来てしまい、自宅2階に避難したものの家ごと流されてしまい、500mほど先に漂着しました。

今回、受賞することになった漂着先での生存者救助活動、及び火災からの避難誘導、また避難先の老人ホームでの生存者救出活動ですが、皆さんが考え賞賛されるようなほど、すごいことはしていないと自分では考えています。あのときは、自分にできるあたり前の行動を無我夢中でとったに過ぎません。

当時、結果的に14名を助けたものの、自分の目視できる位置で助けを求められたものや足場などの問題もあり助けることができなかったり、見つけたときには、既に亡くなられていた方たちなど18名を助けることができませんでした。

その中でも、津波に流されたものの奇跡的に生き残り、その後の火災からの避難最中に高所からガラスの上に転落負傷。これによる出血が原因でなくなられた女性については、いまとなっても忘れることが出来ません。

あのとき自分がもっと注意しまわりに気を配っていれば、転落し負傷することはなかったのではないか?負傷後にとった応急処置ももっと適切な手当てなど対処法があったのではないか?と今になって考えることが多々あります。

気づけば被災し一年が過ぎていました。あのときの自分を振り返り感じるのは、誇らしさでもなんでもなく「自分の無力さ」これに尽きます。

その為、今回の受賞の決定の通知を頂いたとき、はじめは大変うれしく感じましたが、改めて結果的に今回受賞することに決めさせていただいたのには、理由があります。

自分は小学生のときから陸上自衛官になりたいという夢がありました。この当時は人命救助に興味があったわけではなく単純にカッコいいからという簡単な理由でした。一時は家庭の事情などもありあきらめていたものの、今回の震災をはからずとも最前線にて目の当たりにし、人命救助等に関係してみてあらためて陸上自衛官になりたいと考えるようになりました。

あのときの自分は無力で数メートル先の人一人を助けることができませんでした。自分が陸上自衛官になることで万に一つまた同じ状況が起こったとき、間接的にでももっと多くの人たちを助けることができるんではないか、悲しい思いをする人をへらせるのではないか、こんな自分でも役に立てるんではないかという考えにいたりました。

避難先の老人ホーム 9名を救出

それなら、ほかにも消防や救急、警察などの選択肢があると考えられるかもしれませんが、今回、色々な場面を見てきて、陸上自衛官がもっとも自分の求めるところに近く、自分にあっていると思ったためです。自衛官になって、人を助けられるだけの能力や技術を身に付けることは、簡単なことではないと思います。

しかし、今の自分であれば、これを成し遂げることが出来ると自負しています。

無論、同じような災害が起こらないことに、越したことはないですが、自然災害である以上、これからも怒らないとは言い切れません。

これを成し遂げるためにもまずは、陸上自衛隊に入ることが必要であり、入るためには試験に受かる必要があります。恥ずかしながら、今の自分の実力ですぐに試験を受けるのは難しいと思っています。そのため、これから一年の勉強期間をおいて、その後これを受けようと考えています。

この期間は、バイトなどをしながら生活をつなごうと考えており、その不足部分に副賞の50万円を当てさせていただこうと思っています。

夢を実現し、自分の思いを通すために、今回受賞をさせていただくことにした次第です。

 

  • 流された後、救助作業を行った屋根。5名を救助