受賞者紹介

平成19年度 社会貢献者表彰

社会貢献の功績

やまもと まさき

山本 雅基

(昭和38.10.24生 44歳)東京都
やまもと みえ

山本 美恵

(昭和33.4.8生 49歳)東京都
山本 雅基・山本 美恵
山本 雅基・山本 美恵
東京の山谷(さんや)地区に病院から出されたり、行き場を失った人達の終のすみかとなり、人生の最後に光を見出せる「きぼうのいえ」を設立、すでに50人近い方を看取られている。
推薦者:社会貢献支援財団

受賞の言葉

山本 雅基

今回の受賞に心より感謝申し上げます。この受賞は孤独に死を迎えようとする人々を見捨てておけず、寄り添って『愛の心』を伝えようと心を砕く、「きぼうのいえ」のスタッフ、ボランティアの皆に与えていただいたものと考えています。人にとって『愛』にまさる使命はないことを心して、今後とも実践に精進してまいりたいと思います。

山本 美恵

この度の受賞を心より感謝いたします。私たちの活動の実際は、命に限りのある方に寄り添い、その残された一日一日を支えることであり、身寄りがないということのほかは、特別なことは何もありません。必要なことをしているだけです。しかし、きぼうのいえでの毎日は愛と学びと喜びに満ち足りた日々です。天職を得た喜びに加えて、さらに、この活動を評価していただけたことは、たいへん嬉しいことでした。感謝のうちに、より精進して参りたいと存じます。

きぼうのいえ入口

山谷は、東京の台東区や荒川区にある日雇い労働者の滞在する地域の通称であり、簡易宿泊所などの施設が現在も多い。

代表の山本雅基さんは、両国で育った。大学の神学部を卒業後、ホスピスの仕事をライフワークにしたいと思い、難病の子どもとその親を支える団体で働いた。その団体がいくつかの企業からの支援を受け、100ケ所ほどの施設を持つようになるとともに、人間関係になじめず団体を辞めた。

自分は何をやりたいのか、いろいろ悩んだ末に、誰も手をつけていない分野、路上で生きる人達など1人ぽっちで行き場のない人達のためにホスピスをつくることを決意した。最初はお父さんの貯金通帳を担保にして、アパートの何室かを借り上げてやろうと、300軒近い不動産屋に相談したが当然のようにだめであった。そんな折に、ある不動産屋が山谷の土地を紹介してくれた。土地探しの傍らにはホスピスボランティア講座に出かけ、ボランティアを求めていたが、そこで奥さんとなる美恵さんに出会った。

土地代に建物の建築費など1億円を越える総工費を奥さんのOL時代の貯金と銀行からの融資に加えて、運よくある修道会から多額の支援を得て平成14年、計画から5年をかけて現在の地に「きぼうのいえ」を設立した。特に修道会からの支援は、神様が雅基さんの話を実現させてくれるために、関係する人の感覚を麻痺させてくれたのだと思わずにいられなかった。

「きぼうのいえ」は希望を失くした人達に寄り添い、人から大切にされ、関心を持たれていることを感じ、人生の最後に光を見出せる家となり、終のすみかとなる家である。地上4階建、21の個室がある。各部屋には洗面台、冷蔵庫、テレビ、ナースコールを備え、食堂、談話室、最上階に宗教を特定しない祈りの部屋も設けた。

最初は奥さんと2人で始めたが、このままでは疲労で2人共死ぬかもしれないと思いかけた頃から、ようやくボランティアが集ってくれた。現在は夫妻を含めたスタッフ、ボランティア27人に往診医、訪問看護士などさまざまな人が係わり運営されている。

入居者は生活保護の受給者であり、家賃と食費、共益費を支払う。末期ガンなど余命の少ない人、身寄りのない人、認知症や総合失調症の人など都内23区の福祉事務所、ソーシャル・ワーカー、病院などからの紹介により受け入れている。入居者の負担と賛同者からの支援、寄付などのやりくりで運営されている。

雅基さんは「入居者と生活を共にして、貧乏や大変な苦労の中で、生きて行くための術を身につけることはつくづく難しいことだと思わずにいられない。しかしここで生活し、しばらくすると人が穏やかに変ってくる。普通の病院などでは考えられない入居者とスタッフが個人的でかつ濃密な人間関係を育み、築き上げることにより入居者は心の重荷をおろし、死を受け入れながら去っていかれる」という。

「きぼうのいえ」の4階の祈りの部屋には、平成14年の11月以来看取られた49人の故人の写真が並んでいる。

個 室
訪問診療
お花見

Mr. Masaki Yamamoto

(born October 24, 1963 [44 years old] ; Tokyo)

Ms. Mie Yamamoto

(born April 8, 1958 [49 years old] ; Tokyo)
In 2002, Mr. and Mrs. Yamamoto established "Hope House" in the Sanya district of Tokyo as a home for people who have been expelled from hospitals and have nowhere else to go to spend their last days. The home is already caring for 49 people. The Yamamotos are also taking pioneering steps in in-home care toward making all of Sanya something of an in-home hospice facility.
Recommended by: FESCO