受賞者紹介

平成12年度 社会貢献者表彰

第二部門/多年にわたる功労

あさだ ようぞう

浅田 要三

(明45. 6.29生 神奈川県横浜市)
神奈川県横浜市で近くのお寺境内の丘に自費で遊歩道作りを始め、25年に亘って整備を続けてこられた。氏の手がけた道は、今では「愛宕山平成遊歩道」と名付けられ、市民の憩いの場として親しまれている。
推薦者:浅田 栄次

65年にわたって横浜市小机で青果業を営む浅田さんは、無類の植物好きであり、本業に関わる野菜、なりものはもちろんのこと、山木や山野草に到るまで、該博な知識をお持ちだった。昭和50(1975)年ころから、緑や草花などの自然が身近であることの大切さを思い、近くのお寺である雲松院の小高い丘に、遊歩道づくりを始めるようになった。

階段や切り株の腰掛けなどの整備を、すべて手作業で始めた。近くのリタイアした人を自費で頼んだが、町内の人たちの協力も得られた。まだコートが手放せない早春には、木々の枝落とし、梅雨前には下草取り。梅雨に入れば遠方の種苗店まで出向き、良質の珍しい苗木をあれこれ買い込み、挿し木や接ぎ木の作業。夏場の水やり、冬に向けての仕度など、とにかく二日と空けずに山に入り、年中休みなく植物の世話を続けた。

遊歩道はきつい斜面にあり、台風などで激しい雨が降ると、木杭で固めた歩道や階段が崩れてしまうこともあった。幸い町の理解を得られ、舗装することができた。近頃では近隣の人々にとって、季節ごとに表情を変える1km強の遊歩道は、はずせない散策コースの一部となり、役所関連のガイドマップにも「愛宕山平成遊歩道」と案内が出るようになった。

約25年のあいだ、変わることなく遊歩道の整備を続けてきた浅田さんだが、ここ数年、病を得て入院、手術をした。山での作業中のけがが元でばい菌が入り、とうとう左足小指を切断せざるを得ない事故も起きたが、周囲の心配をよそに、持ち前の気丈さで何事もなかったかのように、回復後はまた山へ整備に出かけている。

「いずれ自分が死んだら、他の人たちがあまり手をかけず、木や草花に親しむことができるよう、今から整備しているのだ」と語る。浅田さんの原動力は、遊歩道の歩く人々が、その美しい花や木々の緑に触れたときに感動する「顔」だという。